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倉義和

倉 義和(くら よしかず、1975年7月27日 - )
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(捕手)。
京都府京都市山科区出身。2008年から選手会長に就任した。


経歴とエピソード

プロ入り前
京都成章高では大家友和とバッテリーを組み、3年夏の府大会で準優勝。その後京産大では4年春のベストナインに選出。

1997年のドラフトで、広島東洋カープに5位で指名され入団。

広島時代
1998年 - 2004年
守備面には入団当時から定評があり(達川光男からは「文部省推薦の捕手」または「教科書の手本の写真どおり」と褒められているほどである)、1年目からたびたびスタメンで使われたが、決め手に欠けてレギュラーを掴むまでには至らず、2004年には、後輩の石原慶幸に一足早くレギュラーを奪われている。ちなみにこの頃は課題とされてきた打撃が改善されてファームで好調だったこともあり、野手コンバートの話もあった。

しかし、2004年8月20日の対読売ジャイアンツ戦(広島市民球場)で、ただ一人ベンチに残っていた最後の野手だった倉は、代打で登場。来た球を見事センター前へ弾き返し、サヨナラ勝ちとなった。これは本人の野球人生初のサヨナラ打であった。この試合の試合時間、5時間42分はプロ野球・セ・リーグ歴代10位に入っている。試合が終わったときには12時を過ぎていたため、試合後の山本浩二監督の言葉は「また今日もよろしくお願いします。」だった。

2005年
2005年の春季キャンプでブルペンに入った際、エースの黒田博樹から「キャッチングの時の音が悪い」(春季キャンプのブルペンだと言うのに新品のミットを慣らしていたため)と批判を受け、その日は謝罪も受け付けられないほどであった。しかし、このキャンプで正捕手であった石原が骨折し、倉に千載一遇のチャンスが巡ってきた。

4月1日の開幕戦(対読売ジャイアンツ)でプロ入り初めての開幕スタメンを務め、以後正捕手の座を獲得し、投手陣を支えた。石原が復帰すると、当時打線が低調だったこともあって打撃に優れた石原に正捕手を譲ったが、それまで好調だった投手(小山田保裕など)が揃って調子を崩したことから、まもなく正捕手に復帰する。最終的に、出場試合数が109試合と、自己最多をマーク。打撃面に課題が残ったものの主戦捕手を務め上げ、セ・リーグの盗塁阻止率で.440と1位になるなど強肩をアピールした。

キャンプで叱りつけられた黒田とは、シーズンが進むにつれて抜群の相性を見せるようになり、以後長い間「黒田専属捕手」として常にバッテリーを組むようになる。

2006年
84試合出場に留まり、石原(85試合出場)らと併用された。ちなみに、この年の盗塁阻止率はリーグワーストに終わった。

2007年
4月の開幕当初、チーム打線全体がドン底の状態の中、新井貴浩と2人で打ちまくり、打率リーグトップを争っていた。しかし、6・7番打者がほとんど塁に出ることが出来ずに、打点にほとんどつながらなかった。9番の投手はもちろんのこと、1・2番も絶不調だったので、得点にもほとんどつながらない結果となった。倉の打順昇格は倉の調子が落ち始めてから行われるというチグハグなものだった。シーズン中盤には石原の打撃が絶好調でスタメンマスクを譲ることが多かったが、終盤に再び巻き返して最終的には打率.274、7本塁打で長打率は4割を越え、併殺打はわずか2と、打撃面では自己最高のシーズンになった。

10月13日には永川勝浩と共に日本テレビのドラマ「ドリーム☆アゲイン」の第1話冒頭で反町隆史演じる巨人の打者・小木駿介と劇中で対決するという設定で登場している(一部、スタントマンが担当)。

2008年
長く専属捕手を務めてきた黒田がロサンゼルス・ドジャースへ移籍したことから、開幕は特定の専属投手不在でスタートしたが、序盤に高橋建との専属バッテリーが確立し、前半戦の高橋の好投に貢献する。以後も青木高広、齊藤悠葵など、左腕投手が先発する際には優先的に先発を任された。しかし、前年とは打って変わって打撃が2割前後と低迷し、長く併用されてきた石原にレギュラーを奪われる。最終的には48試合出場と、一軍に定着した2005年以降では最低の出場数に終わった。ちなみに、この年の年間本塁打数はわずか2本だが、そのうち1本はこの年に201.2イニングで被本塁打数3という驚異的な成績を挙げた東北楽天ゴールデンイーグルスの岩隈久志から放ったものである。

2009年
前年の黒田に続いて高橋もメジャーに挑戦したため、再び専属投手不在となる。シーズン序盤から石原が打撃不振に陥りレギュラー奪回の好機だったが、自身も打撃不振で充分なアピールが出来ず、結果として石原が正捕手のままだった。夏場には若い會澤翼の台頭を許すこともあったが、シーズン終盤にはほぼ均等に石原と併用されるようになり、改めて存在感を示した。しかし出場試合数は前年を更に下回る43試合に止まり、打撃も一軍定着後では初の打率1割台と振るわず、本拠地が広くなったこともあって6年ぶりにシーズン本塁打が0に終わる。5月に国内移籍が可能なFA権を取得したが、シーズン終了後の10月24日、FA権を行使せずに広島に残留する意向を表明した。


背番号
40 (1998年 - )

個人記録
初出場:1998年5月9日、対横浜ベイスターズ7回戦(熊本県藤崎台球場)、10回裏に捕手として出場
初安打・初打点:同上、14回表に西清孝から中前決勝適時打
初本塁打:2004年8月7日、対中日ドラゴンズ19回戦(広島市民球場)、6回裏に遠藤政隆から右中間へソロ本塁打




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