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吉村裕基

吉村 裕基(よしむら ゆうき、1984年6月14日 - )
福岡県古賀市出身のプロ野球選手。
横浜ベイスターズに所属、ポジションは外野手。背番号は31番。右投右打。


来歴・人物
どんなボールに対しても思い切ってスイングを仕掛けていくため、死球による故障離脱が多い。[要出典]同様に三振が多いのも特徴。現在の守備位置は外野手だが、内野手(主に一塁手)として出場した時期もあった。

同球団に所属し、同じくパワーヒッターの村田修一は東福岡高等学校の先輩にあたり、私生活でも村田を慕っている。阪神タイガースの上園啓史は、高校時代の同期。

現在は内川聖一、村田修一とともにクリーンナップを打っている。

意外と足が速く、2009年には二桁盗塁を記録している。

経歴
第73回選抜高等学校野球大会に出場。高校通算43本塁打。東福岡高からドラフト5巡目で横浜に入団。

2003年、二軍・湘南シーレックスでは5番として活躍。シーズン終了間近に昇格すると初打席で二塁打、その翌日の試合でプロ入り第1号ホームランを中日ドラゴンズの野口茂樹(後に巨人)から放った。

2004年、開幕一軍メンバーには漏れるも、オールスター前の7月3日に再び昇格。7日の巨人戦(東京ドーム)で、代打で決勝タイムリー。その後、9日のフレッシュオールスターゲームでは阪神タイガースの筒井和也から2ランを放つ。その後9月24日に再昇格したが、結果が出ずにシーズンを終えた。

2005年、一軍昇格はなし。二軍では三塁手のレギュラーとして打率.252、10本塁打を記録した。秋季キャンプから打撃を生かすために外野手の本格的な練習を始めた。

2006年、開幕から打撃好調で、交流戦の直前から外野手としての先発出場が多くなった。その後は6月に死球離脱もあったが高打率をキープし、一軍定着どころかチームの主力に成長した。シーズン中盤までは主に7番を打つことが多かったが、実績を認められレギュラーに定着。4番村田に続く5番を任されるようになった(前年シーズン5番だった多村仁は復帰後3番に入った)。守備では外野の3ポジションと一塁手で満遍なく起用された。規定打席未満ながら打率.311、26本塁打の活躍で新人王の有力候補に名を挙げられたが、惜しくも梵英心に譲る形となった。

2007年、大矢明彦監督の意向により外野手から一塁手に再コンバートされ、すべて一塁手として出場した。3番を期待されていたがオープン戦で不振に喘ぎ、シーズン中は5番~7番を打つことが多かった。前年より三振が減った分、四死球の数が増え選球眼が向上した。自身初の規定打席に到達。チーム2位の24本塁打・85打点を記録した。

2008年、一塁手から右翼手にコンバート。一塁は佐伯貴弘が再び守ることになったが、佐伯の不振のため途中からは内川聖一が守っている。4月26日の横浜スタジアムでの広島戦で右翼手として出場し、一試合3補殺を記録。チームの4番村田が北京オリンピックに出場しチームから離れたため、吉村は8月3日の阪神戦からプロ初の4番に座り村田の穴を埋める活躍をした。最終的には自己最高の34本塁打(リーグ5位)、91打点(同6位)をマークした。

2009年、は4月、5月で計3本塁打しか打てないなど不振に陥る。その後も打順を変えたりするものの打率・本塁打共に伸び悩んだ。全試合出場を果たしたが、レギュラー獲得後最低の成績となる打率.248、本塁打16、打点54に終わり、2年連続リーグ2位の134三振を記録してしまった。

エピソード
中学時代は福岡ライナーズに所属。高校時代は投手も兼任していて最速147km/hをマークしたこともあり、強肩である。
自称「ヘラクレス」。しかし、人形のモンチッチのような風貌から「モンチッチ」の愛称が付けられる。2004年11月には背番号31の「吉村モンチッチ」が発売された。本人はあまり気に入っていないようである。
物怖じしない性格で、年上の選手に自分から積極的に話しかけることが多い。ルーキーの年に引退した現役時代の中根仁(現二軍コーチ)にとても気に入られており、「吉村のような選手を獲ってくる」と言い中根は翌年球団スカウトに転身した。
ルーキー時代から注目度が高く、偵察に訪れる他球団のスコアラーも吉村の打撃を楽しみにしている人が多かった。スコアラーの間では「偵察隊のアイドル」と呼ばれていた。またルーキーとは思えぬ体つきやパワーに、吉村のことを年上だと勘違いする他球団の選手もおり、年上の選手に「さん付け」されることもあった。
打った直後に、振り戻しの動きを利用してバットを高々と放り上げる仕草が特徴的で、本人は「歌舞伎投げ」と呼んでいる。名付け親は石井琢朗。
2005年4月のイースタン戦と2006年6月の交流戦で日本ハム・武田久から二度、手にデッドボールを受けており、いずれも骨折している(その時の捕手はいずれも鶴岡慎也)。
2006年の新人王候補として有力視されながらも、選出されたのは広島東洋カープの梵英心。その梵も「吉村君がよく打っていたので彼で決まりと思っていた」と漏らしている。選に漏れた要因は規定打席未満という点以外にプロ入り4年目だったことが投票有資格者に対するマイナス点になったことが大きいと思われる。
2006年オフ、中村紀洋がオリックスを自由契約となって去就が注目された際、横浜のフロントは「うちには村田・吉村という2人の売り出し中の三塁手と一塁手がいるので獲るつもりはありません」と発言した。
村田とは特に仲が良く、2人で一緒にゲームをする程の間柄なのだが、知り合ったばかりの頃に、村田と一緒にゲーム(実況パワフルプロ野球)をした際、守備時に全く動かないゲーム内の村田(守備力がとても低かった)に「動けデブ!」と叫んだ(村田は、そのことがだいぶショックだったと後にプロ野球aiで語っていた。ジャンクSPORTS - トークダイジェストも参照)。
2007年からは開幕から一塁を守ることになるとともに応援歌の歌詞が変わった。
その一塁守備は記録にならない失策が目立ちコンバートは成功とは言えず、外野守備は安定性に欠けるものの強肩でそこそこの俊足な為、外野手への復帰を願うファンは少なくなかった。2008年より再び外野手に復帰することが決まり、ファンの願いが現実のものとなった。
2007年6月9日の交流戦・千葉ロッテ戦(横浜スタジアム)で、4回裏にロッテ先発・成瀬善久から右翼へ6号決勝2ランを放ったが、これがこの年成瀬に唯一の黒星をつける一発となった。
2007年元日のスポーツマンNo.1決定戦に出場。
毎年交流戦で来福する時は村田修一と一緒に母校東福岡高校を訪れている。
好きなプロ野球選手は広島東洋カープの前田智徳と中日ドラゴンズの現監督落合博満である。特に前田とは生まれた日(6月14日)が一緒で、小学校の時は下敷きに前田の写真をいれていたという。
プライベートではマイペースで、支離滅裂な言葉を発することが多く、シーズンオフにテレビ神奈川の応援番組で放送した村田家に上がりこんだ吉村のプライベート映像では、「子供の頃に兄と凧揚げをした」話をしたが、不可解な点が多すぎてまるで何を言っているか分からず、視聴者が少しでも分かりやすいように説明のテロップが出るほどだった。
オフに障害者施設を訪問した際、「好きな女性のタイプは?」と聞かれ「ドラえもんのしずかちゃん」と答えた。
強肩であるが、強肩のイメージが弱く、走者からの警戒が薄いので、補殺の数が多い。また、足も遅くないので、吉村自身は「来年はゴールデングラブをとりたい」と、2008年の契約更改時に話している。
集中した時のコンタクトの違和感や裸眼で見えることはプレーにも重要と考え、神戸クリニックでレーシックを受けている。
2009年10月にファッションモデル兼女優の英玲奈(えれな)との真剣交際が明らかになった。
2007年頃から守備、走塁などで怠慢なプレーが目立つ様になってきた。この為、コアなファンから「真面目にやれ」、「プロなら全力で走れ」などと痛烈な野次を飛ばされる場面が多々見受けられる。
ファンサービスはあまりしない方である。横浜スタジアムなどで子供からサインを求められるが、それを無視をする事が多い。
2009年6月、横浜熱闘倶楽部のインタビューで、「去年の数字(34本)は上回りたい。40本が最低ラインですね。」と豪語したが、結局この年は僅か16本でシーズンを終了した。

背番号
31(2003年 - )

タイトル・表彰
JA全農Go・Go賞:2006年8月(最多二・三塁打賞)

個人記録
初出場:2003年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、
初打席・初安打:同上、2回裏に平松一宏から左越二塁打
初打点:同上、3回裏に平松から押し出し四球を選択
初本塁打:2003年10月4日、対中日ドラゴンズ25回戦(横浜スタジアム)、7回裏に野口茂樹から決勝左越2ラン
初盗塁:2006年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:久保康友、捕手:里崎智也)
100本塁打:2009年10月3日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、6回裏に吉見一起から左中間へ2ラン
4試合連続本塁打:2008年9月11日~14日(11日広島戦、12~14日中日戦)

高校時代の戦績・記録
2001年 - 第73回選抜高等学校野球大会ベスト8
2002年 - 全国高等学校野球選手権大会福岡県大会4回戦敗退


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