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建山義紀

建山 義紀(たてやま よしのり、1975年12月26日 - )
北海道日本ハムファイターズに所属する選手(投手)。背番号22。

経歴
中学時代はボーイズリーグ「大東畷」に所属しオーバースローから現在のサイドスローになり6番手ピッチャーから一気にエースに昇りつめる。

東海大仰星高校時代は、同期の上原浩治ではなく建山がエースだった。また、ラグビーの大畑大介とも同じ高校の同級生で友人。

1998年にドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。同じ右のサイドスローの立石尚行(2007年引退)とは同期入団。

1年目の1999年、ルーキーながら6月から完全に先発ローテーションに定着し、防御率2.89で6勝を挙げる好投を見せた。翌2000年も、開幕3戦目に先発登板するなど前半はローテーション入りして6勝を挙げたが、防御率は5点台に悪化し、後半は中継ぎ登板も多かった。2001年は14イニングで5本塁打を浴びる不安定な投球で、わずか10試合の登板にとどまり、二軍でも成績を残せなかった。

しかし2002年、先発ではなくリリーフに限定した起用法が大当たり。球のキレが戻り、45試合に登板して防御率2.29と、不振から脱して予想以上の快投を見せた。短いイニングに専念することでストレートの球威が増し、持ち球の鋭いシンカーとスライダーも生きるようになった。シーズン後半にはプロ初セーブを記録。

2003年は前年2桁セーブを挙げていた芝草宇宙・井場友和がともに安定感を欠いたため、シーズン前からクローザーへの抜擢が予定されていた。序盤故障で出遅れ、阪神から移籍してきた伊達昌司(後に巨人に移籍)が暫定的にクローザーとなったが、6月に復帰すると期待通りの安定した投球でクローザーに定着。自己最高の防御率2.17で、15セーブを挙げた。9イニングあたり1個未満と四球を急激に減らし、パ・リーグでは豊田清(現・巨人)に次ぐ安定感を見せた。

2004年、不動のクローザーとして見込まれていたが故障からか開幕2戦目のシーズン初登板でサヨナラ負けを喫し登録抹消。代役で好投していた伊藤剛も故障したため、横浜から移籍した横山道哉(後に横浜に復帰)が起用されるとそのまま抑えに定着してしまった。そのため6月に復帰後は横山につなぐ中継ぎとして起用された。41試合に登板して防御率2.33と、3年連続防御率2点台前半の安定したピッチングで、一年通してセットアッパーとして活躍した。リーグ最多の13ホールドを挙げ、自身初のタイトルである最優秀中継ぎ投手を獲得。最優秀救援投手に輝いた横山とともに「タテヨココンビ」の愛称で呼ばれた。

2005年も45試合に登板したが、防御率3.68とやや安定感を欠いた。横山が不調に陥った終盤には代役で抑えも務め、2年ぶりのセーブを挙げた。2006年には自己最多の46試合に登板し、武田久・岡島秀樹(現・ボストン・レッドソックス)・マイケル中村とともに強力リリーフ陣を形成、優勝に貢献した。

5年連続30試合登板、5年間の通算防御率が2点台とリリーフで結果を収めていたが、2007年は自ら志願して先発に回った。4月1日に6年ぶりに先発登板し、7年ぶりに先発勝利を挙げた。しかし5月中旬に試合中に右足を痛めて降板するとそのまま二軍落ちし、自己最少のシーズン7試合の登板に終わった。日本シリーズでは1軍に合流し第三戦に登板。

2008年は再び中継ぎに戻り、自己最速148km/hを記録したストレートと100km/h台のスローカーブのコンビネーションで自己最多58試合に登板し、23ホールドポイントをマーク。また、8月頃からは調子を落とし救援失敗が目立ち始めていた武田久に代わりMICHEALにつなぐセットアッパーを務めた。しかしレギュラーシーズン終了後に痛めた右内転筋痛でCSの前日に登録抹消になった。

人物
入団年の1999年に名護市のネオパークオキナワ内にあるヤンバルクイナ保護施設を訪れた際に「勝利の数だけ寄付する」と約束、当初はその場のノリの約束かとも思われたが、翌オフより2008年2月現在まで1勝ごとに1万円を寄付する活動を続けている。最初の寄付を行った2000年オフには施設に連絡せずに黙って募金箱へ6万円を投入、突然大金が入った募金箱に一時は「警察に届けよう」と騒動にもなった。後に建山投手の善意による寄付と判明、ネオパークではその人柄に打たれた人達でヤンバルクイナ会という私設応援団も結成されるようになった。
大のワイン好きで知られ、札幌市内の自宅には大きなワインセラーが構えてあるほどである

背番号
22(1999年 - )

タイトル・表彰
最優秀中継ぎ投手:1回(2004年)

記録
初登板:1999年5月3日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(東京ドーム) 先発登板
初勝利:1999年7月21日、対西武ライオンズ17回戦(西武ドーム)
初完投・初完封:1999年9月19日、対大阪近鉄バファローズ27回戦(最終戦)(大阪ドーム)
初セーブ:2002年7月31日、対西武ライオンズ22回戦(西武ドーム)
初ホールド:2005年4月26日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(札幌ドーム)



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