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2000年07月09日 の記事一覧

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鶴岡慎也

鶴岡 慎也(つるおか しんや、1981年4月11日 - )
北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(捕手)。

経歴
プロ入り前
小学校時代はソフトボールの投手だった。中学校時代に監督から捕手に転向するよう命じられ、投手継続を希望していたが従った。もし断って投手を続けていたらプロにはなれなかっただろうと振り返っている。

高校時代は、樟南高校の捕手として甲子園に2度(1998年春の第70回選抜高等学校野球大会・1999年夏の第81回全国高等学校野球選手権大会)出場。1999年夏は、準決勝の桐生第一高校(群馬県代表)戦で、後に日本ハムファイターズでチームメイトとなる正田樹(2009年は興農ブルズに所属)と対戦し、自身は1安打を放ったがチームは敗退した。なお、当時の樟南高校のエースは上野弘文(現:広島東洋カープ)で、一学年下には青野毅(現:千葉ロッテマリーンズ)が在籍していた。

その後、社会人野球の三菱重工横浜[2]を経て、日本ハムの入団テストを受け、2002年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから8巡目指名され入団した(前年にも日本ハムのテストを受けているが、その時は不合格になっている)。

プロ入り後
2年間は一軍出場がなかったが、2005年のフレッシュオールスターゲームに出場して先制本塁打を放ち、最優秀選手に選ばれた。また、シーズン後半に一軍昇格し、9月25日のオリックス戦で一軍初先発出場・初安打・初打点を記録した。

2006年シーズンは初の開幕一軍入り。当初は控えだったが、正捕手だった高橋信二の打撃不振で徐々に出番が増え、特にシーズン終盤からアジアシリーズにかけてはダルビッシュ有、八木智哉とコンビを組み、飛躍の年となった。2007年は開幕からしばらくは控えだったが、中盤あたりからダルビッシュの先発時はほぼ必ず鶴岡が先発マスクをかぶるようになり“ダルビッシュ専属捕手”という状態であった。その他若手投手先発時にマスクをかぶることもあったが、八木の不振もあってか、2006年と比較すると出番は減少した。また、課題のバッティングを克服する為の視力矯正手術をこの年のシーズンオフに行った。

2008年は、捕手を固定したい梨田昌孝監督の方針で開幕当初は正捕手だった。前年に引き続きダルビッシュの専属捕手を務めたほか、多田野数人、ブライアン・スウィーニーの先発する試合のほとんどにおいても鶴岡が捕手を任されたが、その他の先発投手との相性の悪さを解消できず、高橋や前年まで一軍未出場であった小山桂司(現:中日ドラゴンズ)に先発マスクを譲る事もあり、またシーズン後半は、抑え投手・マイケル中村が登板する際には中嶋聡と交代する事も多くなり、正捕手の座を勝ち取るまでには至らなかった。

2009年になると、膝の状態が良くない高橋は一塁手として固定されたが、梨田がチームの競争意識を活性化させる事を明言したことで前年の捕手固定の方針が撤廃となり、新人の大野奨太と併用されることとなった。それでも、八木とダルビッシュが先発の時には必ず先発マスクをかぶり、また大野が先発マスクの時も、読売ジャイアンツ(巨人)に移籍したマイケルに替わって抑え投手となった武田久が僅差のリードで最終回に登板するときには、抑え捕手として出場するなど、前年より出場機会を増やした。

人物・プレースタイル
打撃は右打ちが得意である。ただし打力そのものは、OPSが.600を超えたシーズンが無いことからもわかるように、優れているとは言えないためか、一死からの送りバントやチャンスでのスクイズをしばしば行う。

守備面では投手陣の持ち味を生かし、自らの工夫を足したリードや、すねをいっぱいに使った、大柄な選手を相手にしてもビクともしないブロックには定評がある。肩はスピードガンで135km/h前後と決して強くないが、送球動作の速さでそれを補っている。ダルビッシュ有の本気の投球を継続して受け続けられる数少ない捕手で、高橋信二に「よくあんな球を捕り続けられる」と感心されている。

中学生時代から、当時オリックスブルーウェーブの正捕手だった中嶋聡に憧れ目標にしていた。その中嶋や、中学の鹿児島選抜チームで相部屋だった田中賢介の2人と同じチームでプレーしていることに縁を感じている。田中とはとても仲が良く、二人でテレビに出演する際はよく鶴岡の前歯が話題になる。

2007年に結婚した妻の誕生日が6月4日であるため、背番号64に非常に強い愛着を感じており「今後も変えることはない」と宣言している。
2009年までに鶴岡が打った本塁打は通算5本で、そのうちパシフィック・リーグの投手から打ったのは2本だけだが、いずれも相手投手は千葉ロッテマリーンズの成瀬善久である。
前歯が出ているため、「ハーデル」(元ヘッドコーチの白井一幸が命名)や「ガチャピン」というニックネームで呼ばれている。後者については、ガチャピンの絵や人形を掲げて応援する観客の姿が見かけられる。
背番号
64(2003年 - )
初記録
初出場:2005年9月7日、対埼玉西武ライオンズ18回戦(インボイスSEIBUドーム) - 7回表二死に代打、投手:松坂大輔
初先発出場:2005年9月25日、対オリックス・バファローズ20回戦(大阪ドーム) - 九番・捕手
初安打・打点:同上(4回表・第2打席) - 投手:ジョッシュ・スチュワート
初盗塁:同上(4回表) - 投手:同、捕手:的山哲也
初本塁打:2006年5月13日、対横浜ベイスターズ2回戦(札幌ドーム) - 7回裏無死、投手:秦裕二
登場テーマ曲
福原美穂『CHANGE』(奇数打席)
九州男『ONE LIFE』(偶数打席)



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