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2000年07月08日 の記事一覧

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金子誠

金子 誠(かねこ まこと、1975年11月8日 - )
北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。
愛称は「マック」、「マコ」。
妻は元テレビ朝日のスポーツ記者で、ニュースステーションのキャスターも務めていた白木清か。


経歴

プロ入り前
茨城・常総学院高等学校で甲子園には春夏合わせて3回出場。高校時代は遊撃手を守っていた。3年夏(1993年・第75回選手権大会)は、準決勝で土肥義弘(埼玉西武ライオンズ)を擁する春日部共栄高等学校に敗退。同大会では全試合で安打を記録した。同年秋のドラフト会議で、日本ハムに3位指名され入団した。入団時の背番号は30。

プロ入り後
プロ3年目の1996年にレギュラー二塁手となり、打率.261、パシフィック・リーグ最多の38犠打を記録し、その年のパ・リーグ最優秀新人(新人王)に選出された。この年のセントラル・リーグの新人王は、同じ常総学院のOBでもある仁志敏久(当時の所属は読売ジャイアンツ)だった。

1997年は自身初の2桁本塁打(12本)、打率.277を記録。この年は1票差でゴールデングラブ賞受賞を逃すも、翌1998年、1999年と2年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。1997年から2001年までは、守備率もリーグタイ記録となる5年連続リーグ1位を記録した。

2002年になると、それまで正遊撃手だった田中幸雄が三塁手にコンバートされたのに伴って、金子が遊撃手にコンバートされた。また、兄貴分として慕っていた片岡篤史がフリーエージェント権を行使して阪神タイガースへ移籍したため、片岡が付けていた背番号8を受け継いだ。

2005年はトレイ・ヒルマン監督(当時)に出塁率の低さを指摘され、新外国人のエリック・アルモンテに遊撃手のレギュラーの座を奪われ開幕二軍スタートとなるも、アルモンテの不振によって5月に一軍昇格し、レギュラーに復帰した。

2006年に日本ハム選手会の会長に就任。この年のパ・リーグプレーオフからはリストバンドを浅葱色のもの(新選組の隊服であるダンダラ羽織の色に因む)に変更。日本シリーズでは攻守で優勝に貢献した。シーズンオフには、札幌グランドホテルで開催された「日ハム選手ディナーショー」に出演し、自慢の歌を披露しファンを魅了し、これを機に「ニヒル」から「スマート」にイメージチェンジした。

2007年に主将に就任。シーズン序盤は打線の低調ぶりと金子自身の好調さもあり、クリーンナップを打つこともあったが、主に九番を打った。打率.243(リーグ最下位)ながら得点圏打率は.285、特に満塁では.500(18打数9安打、19打点)と上昇し、チーム3位の53打点を記録した。

2008年は開幕から打撃不振でケガもあり絶不調に。9月からは本来の調子を取り戻したが打率.216、本塁打2と打撃面では前年をも下回ってしまった。契約更改ではトレード加入した二岡智宏に対抗心こそ見せないが「自分らしく」と、金子らしいマイペースな意気込みを語った。ちなみに金子の弟が近畿大学出身で、二岡の1年後輩に当たる。その関係もあって二岡と会話を交わしたことがあるが、酒を酌み交わしたことがなく「一度一緒に酒を飲みたい」(2008年12月現在)とも語っている。

2009年からは選手会長の座を後輩の田中賢介に、主将の座も稲葉篤紀にそれぞれ譲ることになった。4月15日のオリックス戦(札幌ドーム)で、日本プロ野球新記録となる7試合連続二塁打を放った。4月のパ・リーグ野手部門月間最優秀選手(MVP)に選ばれた。プロ16年目での初受賞で、1992年の金石昭人(日本ハム)の14年目を更新し、月間MVP制定後、パで最も遅咲きの初受賞となった。打率トップの4割2分3厘のほか、プロ野球新記録の7試合連続二塁打をマークしたことなどが受賞理由。10月6日の対埼玉西武戦では4-4で迎えた12回裏に、優勝を決めるサヨナラ犠牲フライを打った。最終的に、1997年以来の2桁本塁打と、キャリア初の打率3割を記録した。

フリーエージェント権を取得しても行使せず残留、「生涯ファイターズ宣言」をしている。

背番号
30(1994年 - 2002年)
8(2003年 - )

タイトル・表彰・記録

タイトル
最多犠打:1回(1996年)
最優秀新人:1996年
東京ドームMVP:1回(1996年)
ベストナイン(二塁手部門):1回(1999年)
ゴールデングラブ賞(二塁手部門):2回(1998年、1999年)

表彰
オールスターゲーム出場:3回(2002年、2004年、2009年)
千葉県知事賞(2004年):アテネ五輪野球日本代表メンバーとしての銅メダル獲得を称えて
パ・リーグ月間MVP:1回(2009年4月)

記録
初出場:1995年4月2日、対近鉄バファローズ2回戦(藤井寺球場) ― 9回表に五十嵐信一への代走
初先発出場:1995年10月3日、対西武ライオンズ13回戦(西武ライオンズ球場) ― 八番・二塁手
初安打:同上 ― 投手:小野和幸
初打点:1996年4月12日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム) ― 投手:エリック・ヒルマン
初盗塁:1996年4月17日、対福岡ダイエーホークス4回戦(福岡ドーム) ― 投手:内山智之、捕手:吉永幸一郎
初本塁打:1996年5月5日、対近鉄バファローズ6回戦(藤井寺球場) ― 投手:池上誠一
通算1000試合出場 2004年4月16日(391人目)
5年連続守備率1位
1997年~2001年。二塁手のパ・リーグタイ記録。
1試合5三振
1997年6月14日、対西武ライオンズ13回戦(西武ライオンズ球場)で記録。プロ野球最多タイ。
1試合遊撃手最多11補殺
2004年7月6日、対大阪近鉄バファローズ14回戦(札幌ドーム)、8回表の守備で記録。
通算200犠打
2007年8月14日、対福岡ソフトバンクホークス15回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)で達成。史上27人目。
7試合連続二塁打
2009年4月7日の対千葉ロッテマリーンズ1回戦(東京ドーム)から4月15日の対オリックス・バファローズ2回戦(札幌ドーム)までの7試合全てで二塁打を打ち達成。7試合連続は史上最多。6試合連続は金子以外に、1952年の三宅宅三(毎日オリオンズ)などパ・リーグで8人、セ・リーグで2人が達成している。



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