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2000年08月04日 の記事一覧

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高須洋介

高須 洋介(たかす ようすけ、1976年2月9日 - )
東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(内野手)。
2007年・2008年度の楽天選手会長。 ニックネームは必殺仕事人。



来歴

プロ入り前
佐賀県伊万里市で出生後、幼稚園からは名古屋市に移る。名古屋市立猪高小学校に進学し、部活で本格的に野球を始める。猪高中学校では中心選手として投手と三塁手を兼任、県大会3位の好成績を収めた。中学3年途中で石川県金沢市に転居。

金沢高校に進学。1993年の3年時に春・夏連続で甲子園に出場(ともに初戦敗退)。夏の甲子園では後にチームメイトとなる山村宏樹(甲府工)と対戦した(4打数無安打)。

その後青山学院大学に進学。1年時から二塁手でレギュラー。3年間、1学年上の井口資仁と不動の二遊間を組む。井口卒業後は遊撃手、三塁手も務める。井口の他、1学年上には、澤崎俊和、清水将海、倉野信次らがおり、各大会で優勝を収め黄金時代を築いた。

東都大学野球リーグで首位打者2回、ベストナイン3回(二塁・遊撃・三塁の各ポジションで受賞する。内野3ポジションでベストナイン獲得はリーグ史上初の快挙)。

1997年第26回日米大学野球でMVP獲得。5試合中2試合で本塁打を放つなどの活躍でチームの優勝に貢献。敢闘賞は川上憲伸他。1997年IBAFインターコンチネンタルカップでベストナイン。

近鉄時代
1997年、ドラフト2位で近鉄バファローズに指名を受け入団。背番号は4をもらい、同番号の前任者で引退した大石大二郎の後継者として期待をかけられる。

1998年、入団1年目。開幕一軍を果たすが正二塁手水口栄二の壁は厚く3試合の出場にとどまる。2年目は守備と犠牲バントを認められ116試合に出場。しかしオフに右肘の靱帯移植手術を受け、翌1年はリハビリに費やす。復帰後も後遺症に悩まされ入団3年目、4年目の出場は一桁台にまで落ち一時期プロをあきらめかける。入団5年目から楽天へ移籍するまでの3年間は、再びポジション争いに参戦したが定位置確保ならず。

2004年シーズンオフ、選手分配ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。オフに的山哲也と共に視力の矯正手術を受ける。また、楽天移籍を転機に、打撃に対する考え方を180度変え、バッティングフォーム他さまざまな部分を見直す。これが後の見違えるほどの好成績に繋がったと思われる。

楽天時代
2005年、移籍1年目。球団初試合となる3月26日のロッテ戦に2番セカンドとしてスタメン出場。1回に球団初安打、3回には球団初二塁打を打ち球団初得点を記録する。以後も 田尾安志監督に指名され、酒井忠晴や大島公一を抑えて二塁手のレギュラーを獲得する。しかし夏場に扁桃炎による発熱やアキレス腱痛などの故障で戦線離脱したため、出場数は82試合となる。

2006年、腰痛の影響で出遅れ開幕一軍ならず。4月4日の西武戦で一軍登録後、4試合連続でタイムリーを放つ。以後、2番セカンドとして定着、離脱者が増えた8月からは3番にも座った。最終的に、リーグトップの得点圏打率(.378)、二塁手部門守備率1位(.992)、出塁率5位(.373)などの好成績を残し、自身初の規定打席到達となった。オフには野村克也監督率いるイオン日米野球2006に出場した。6月10日の広島戦で小指骨折。取材で「今でも指が完全に曲がらない」と語った。

2007年、プロ入り10年目。礒部公一に代わる第2代楽天選手会長に就任。5月には「3試合連続お立ち台」を含む5試合でヒーロー。前半戦の得点圏打率は.470と驚異的な数字にまで上昇した。シーズン終盤は怪我が重なり若手にスタメンを譲る場面も見られたが、最終的にはプロ入り後最多の130試合に出場、2年連続となるリーグトップの得点圏打率(打率.386)を記録。野村監督から勝負強さを評価されて「必殺仕事人」と命名された。

2008年、7月16日の日本ハム戦で球団記録を更新する16試合連続安打を打つなど、シーズン中盤までは好調を維持し、時には3番を任される時もあった。しかし守備では怪我の影響もあってやや精彩を欠き、2年連続二塁手としてのリーグ最多失策(11失策)。後半は怪我もありスタメン落ちや二軍落ちも経験する。しかし粘り強い打撃は健在で、三振は規定打席到達者中最少のわずか38個だった。自己最多の4本塁打・45打点を挙げ、32犠打で初のリーグ最多犠打のタイトルを獲得。シーズン終了後、痛めていた左足首の手術を行った。

2009年、前年の手術の影響か開幕スタメンは新加入の小坂誠に譲ったが、3割を超える好調な打撃ですぐにレギュラーの座を取り返した。相変わらずの得点圏打率の高さを記録するなど打線を牽引していたが、5月6日の西武戦で片岡易之が放ったセンター前への飛球を捕球する際にセンターの鉄平と交錯、左足首を捻挫して登録選手を抹消された(後に靱帯損傷と発表された)。3か月に及ぶリハビリの末、8月5日に一軍復帰。10月16日のクライマックスシリーズ第1ステージのソフトバンクとの第1戦目で杉内俊哉から初回先頭打者ホームランを放った。

プレースタイル
堅実な打撃・守備でナインの脇を固めるミートヒッター。パワーは乏しいものの比較的三振が少なく、相手ピッチャーの球を逆らわずに打ち返す手堅いバッティングには定評がある。

走塁は目を見張るほど速いわけではなく、守備範囲も特別広いわけではないのだが、、犠打を得意とし、比較的盗塁術には優れ、2006年に守備率1位を記録するなど悪送球やエラーも少なく、堅実なプレーが何よりの持ち味である。しかし、プロ入り後は何度も怪我を繰り返しているように体が強いとは言えない選手であり、2007・2008年シーズンのようにその慢性的な故障が、本来得意な守備に悪影響を与えてしまう年も多い。

とにかくチャンスに強い選手で、2006年以降はいずれのシーズンもランナーを得点圏におくと打率が跳ね上がり、時に5割近い得点圏打率を記録する年もあるなど、敵チームにとって非常に嫌らしいバッターである(野球中継において、解説者が高須の手堅いバッティングに言及することは多い)。決勝タイムリーやサヨナラヒットも多々記録している。

背番号
4(1998年 - )

記録
初出場・初先発出場:1998年10月3日、対オリックス・ブルーウェーブ27回戦(グリーンスタジアム神戸)、9番・二塁手として先発出場
初安打:同上、5回表に平井正史から
初打点:同上、7回表に鈴木平から
初盗塁:1999年4月6日、対オリックス・ブルーウェーブ1回戦(大阪ドーム)、6回裏に二盗
初本塁打:1999年5月21日、対日本ハムファイターズ9回戦(東京ドーム)、8回表に石井丈裕から
楽天球団公式戦初安打:2005年3月25日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(千葉マリンスタジアム)、1回表1死に清水直行から右前安打

獲得タイトル・表彰など
オールスターゲーム出場:1回(2007年)
パ・リーグ最多犠打(2008年)

登場曲
『Fantasista』Dragon Ash(2007年 - )




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