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2000年11月12日 の記事一覧

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岡田貴弘

岡田 貴弘(おかだ たかひろ、1988年2月9日 - )
オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(内野手)。
2008年までは外野手登録だった。


経歴

プロ入り前
大阪府吹田市出身。中学時代はボーイズリーグの箕面スカイラークに所属。練習試合で若竹竜士から放った場外本塁打は飛距離140mともいわれている。3年になると、同学年の平田良介とともに進路が注目された。

高校は自宅から通えるという理由で履正社高等学校に進学。1年夏から4番を打ち、打線の中軸として活躍する。1年時の秋季大阪大会では、近大附高校の鶴直人からバックスクリーン弾を放った。2年夏の大阪大会では、2試合にまたがり5打席連続敬遠されるなど警戒されながら5試合で5本塁打を放った。その後、秋季近畿大会で8強入りしたが第77回選抜高等学校野球大会には選出されなかった。3年夏は平田良介、辻内崇伸、中田翔らを擁する大阪桐蔭高校と大阪大会準決勝で対戦し、中田翔から9回表にバックスクリーンへの3ラン本塁打を放ったものの敗れた。

甲子園出場こそなかったもの、高校通算55本塁打を記録し、55という数字やヘッドスピードが約150km/hに達すると言う豪快なスイング、恵まれた体格から、松井秀喜の愛称であるゴジラにあやかり、浪速のゴジラとマスコミから呼ばれるようになった。また、前述の平田、辻内、鶴らと併せて「浪速の四天王」などとも呼ばれた。なお、この4人は全員1巡目指名で高卒プロ入りしている。

2005年の高校生ドラフトで、辻内崇伸の交渉権を抽選で逃したオリックス・バファローズから外れ1巡目指名を受け入団。背番号は、本人の要望もあって55番をそれまで着けていたユウキから譲り受けた(ユウキは22番に変更)。

プロ入り後
2006年はシーズン後半に一軍昇格し、プロ初安打を記録。ウエスタン・リーグで外野手登録ながら主に一塁手としてリーグ戦全88試合中喜田剛と並ぶリーグ2位の82試合にほとんどスタメンで出場し、フレッシュオールスターゲームでは本塁打を放った。二軍でのシーズン成績は打率.245、5本塁打、チーム3位の27打点、共にリーグ2位の73安打と4三塁打を記録するなど高卒新人野手としては比較的優秀な成績を残したが、一方でリーグワーストの75三振、一塁手としては2位の倍を超えるリーグ最多の11失策を記録するなど粗さも目立った。

2007年は清水隆行を参考にした一本足打法から確実性アップのためすり足打法にフォーム改造した。清原和博の後継者として注目を浴び飛躍を期待され、オープン戦では本塁打を放つなど好成績を収めるも、開幕は二軍スタート。シーズン序盤は極度の不振に陥り、一時はスタメンを外れることもあったが夏場以降復調し、北京プレオリンピック野球日本代表に招集され、主軸として日本の優勝に貢献した。帰国後も好調を維持し、シーズン終盤での一軍昇格も期待されたが二軍最終戦の試合後、練習中にボールを踏んでしまい左足首を故障、そのままシーズンを終えた。最終的には二軍で68試合に出場して8二塁打、3三塁打、4本塁打を記録し、打率も前年より僅かに上がったが末永真史と並んで2年連続リーグワーストの69三振を記録した。守備面では外野手として1失策、一塁手としては無失策と成長が見られた。シーズン後のフェニックスリーグでは、故障が完治していない状態にも関わらずチームトップ、リーグでも2位タイとなる4本塁打を記録。その後の秋季キャンプでもSKワイバーンズとの練習試合で本塁打を放つなど、シーズン終盤の好調をそのまま持ち込みアピールを続けた。

2008年1月にイチローと合同自主トレを行った際、それまで面識はなかったもののイチローはすぐに岡田が将来の4番候補であることを見抜き、ロベルト・ペタジーニのようであると評した。同年は二軍でチーム最多、リーグ2位の83試合に出場しリーグ最多の19二塁打(新井良太と同数)を記録し、同3位の32四球を選んだ一方で、3年連続となるリーグワーストの71三振を記録し、打率も.216にとどまった。守備でも一塁手としてリーグ最多の5失策、外野手としても36試合で森山周(外野手としての出場は5試合)に次いで低い守備率を記録してしまった。

2009年は内野手登録となった。二軍で打率.295、21本塁打、59打点の成績で、ウェスタン・リーグ本塁打王と打点王の2冠に輝き、最高長打率も獲得。三振はワースト2位の71個、失策は一塁手ワーストの7個だった。またアレックス・カブレラの怪我により交流戦で一軍に抜擢され、3年ぶりに一軍出場を果たすも結果を残せず降格となった。しかし、2度目の昇格となる8月14日のソフトバンク戦でのプロ入り初本塁打達成を切っ掛けに最終的に7本塁打を放ち、以降最終戦まで一軍に帯同。打率こそ2割を大きく切ったが、ヒット数の3分の1が本塁打、チームトップクラスの飛距離と大器の片鱗を見せ、来シーズンブレイクの可能性を示した。

個人記録
初出場/初打席:2006年8月10日、対西武ライオンズ15回戦(京セラドーム大阪)、6回表に右翼手として出場/7回松永の前に三振
初先発出場:2006年8月15日、対千葉ロッテマリーンズ14回戦(千葉マリンスタジアム)、8番・一塁手として先発出場、2打数無安打
初安打:2006年8月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス14回戦(スカイマークスタジアム)、6回裏に山村宏樹から左前安打
初打点:2009年5月20日、対広島東洋カープ2回戦(京セラドーム大阪)、8回裏に林昌樹から中前適時打
初本塁打:2009年8月14日、対福岡ソフトバンクホークス15回戦(スカイマークスタジアム)、5回裏にジャスティン・ジャマーノから左中間へ3点本塁打

背番号
55(2006年 - )

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