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2000年12月10日 の記事一覧

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濱中治

濱中 治(はまなか おさむ、1978年7月9日 - )
オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。2001年から2005年までの登録名は「濱中おさむ」。
阪神時代は不動のレギュラー金本知憲と赤星憲広がいたため、右翼手を務めることが多かったが、オリックス移籍後は手術歴のある右肩への首脳陣の配慮から左翼手として起用されることが増えている。右肩を痛めるまでは中堅手を務めたり、1999年には三塁手にも挑戦していた。



経歴

プロ入り前
田辺市立芳養小・同明洋中から進んだ南部高では投手として、また打順は主に1番で活躍するも甲子園出場は逃す。高校通算51本塁打を放っているが、51本目は夏の県大会準々決勝の星林高戦で、吉見祐治から打った、レフト場外に消える民家直撃弾であった。

阪神時代
1996年のドラフト3位で阪神タイガースに指名され入団。入団会見では「甲子園で場外ホームランを打ちたい」と発言し、和製大砲到来と期待される。入団1年目からウエスタン・リーグで4番を打ち、球団では掛布雅之以来となる高卒新人でのスタメン出場を果たすなど頭角を現すが、最初の数年間は一軍と二軍を往復する日々が続いた。二軍では、当時チームメイトだった佐々木誠から熱心なアドバイスを受けた。

2001年、登録名を本名から「濱中おさむ」に変更しブレイク。母の日の5月13日、母親をスタンドに招待していた広島東洋カープ戦(甲子園)で、プロ入り初ホームランとなるサヨナラスリーランを放った(しかし母親はこのホームランの時には球場を後にしていた)。後半戦は3番に定着し初の規定打席到達、13本塁打を記録。2002年は7月24日の読売ジャイアンツ戦でサヨナラホームランを打つなど活躍するが、8月にナゴヤドームでの試合でダイビングキャッチを試みた際に親指を骨折。規定打席到達を逃すが、打率3割・18本塁打をマーク。この年オフには第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出され出場した。

2003年は、開幕から4番に座って4月中に10本塁打到達し、打点を量産したが、5月20日に広島戦で帰塁の際に右肩を負傷。さらに6月13日の巨人戦では送球の際に右肩を脱臼し、7月のオールスターゲームにファン投票で選出されていたが出場は辞退することになった。手術で後半戦を棒に振るが、日本シリーズには指名打者などで出場した。2004年、背番号を31に変更し、復活が期待されたが、再び右肩を痛めて手術。2005年は、セ・パ交流戦で指名打者として復帰し、交流戦終了後は代打での出場が主になった。

2006年は5年ぶりに登録名を本名に戻し、背番号を5に変更して完全復活へと挑んだ。開幕スタメンこそ逃すが、打率.435・10本塁打・打点22をマークし、3・4月度の月間MVPを獲得する活躍で6番に定着。後半は今岡誠の故障もあり、5番打者として起用され、最終的には20本塁打と自己最高の成績を残した。また、同年7月14日のオールスターにファン投票で選出された巨人(当時)の小久保裕紀内野手が怪我で出場を辞退したため、代替選手として出場した。

しかし、翌2007年は自身の不振と故障、林威助や桜井広大の台頭があり、一軍と二軍を往復するシーズンとなり、結局打率.193、本塁打6、打点14と不本意な成績に終わる。阪神では戦力として計算しづらくなり、11月26日にオリックスの阿部健太投手、平野恵一内野手との交換トレードで吉野誠投手とともにオリックスに移籍が発表された。12月3日付けでオリックスの支配下選手に登録され、12月5日に入団会見を行い、背番号は7番と発表された。これにちなみ、オリックス球団は大阪府下での主催試合で「1人でも多くのファンの方に野球を生で楽しんでもらいたい」という濱中の意向から「濱中治のラッキー7シート」(各試合7名ずつのファンご招待)を実施する。

オリックス時代
移籍初年度の2008年は、6番・右翼手として開幕戦にスタメン出場。4月1日の西武戦では西口文也から逆転決勝1号満塁本塁打、4月30日の楽天戦では9回裏に青山浩二から代打同点3号2ラン、5月6日の千葉ロッテ戦では成瀬善久から逆転決勝4号2ラン、と開幕直後はチャンスで好打を度々放った。しかし、アベレージそのものは伸び悩み、大石大二郎に監督が代わると、スタメンから外れるケースも多くなった。7月中旬に一旦2軍降格、8月初旬に1軍に復帰した。復帰直後はまずまずの打撃を見せたものの、坂口智隆・下山真二の活躍やルーキー・小瀬浩之の台頭もあり、出場機会をあまり得られなかった。最終的には85試合に出場して打率.253、9本塁打の成績に終わった。前年ほどの不振ではないにしろ、カムバック賞を獲得した平野とは対照的に、期待された成績を残したとは言い難かった。

2009年は開幕一軍入りを果たすも、出場機会をなかなか得られず、4月27日に登録抹消。その後、二軍でシーズンを通じて岡田貴弘の21本に次ぐチーム2位の13本塁打を記録するなど腐らず結果を残し続け、7月31日に再昇格。8月2日の西武戦では、2回裏に西口文也から先制3ランを放つと、延長10回裏には岩崎哲也からサヨナラソロ本塁打を放つ活躍を見せた(なお、1試合2本塁打は阪神時代の2006年4月25日の横浜戦以来だった)。次の楽天3連戦でも2本塁打を放ち、昇格した日から一週間以内で4本塁打を放った。しかし、その後は勢いが長続きせず、9月3日に二軍降格。結局は打率.208、6本塁打12打点と不本意な成績に終わった。

右肩について
怪我で2003年・2004年と2度の手術を行った右肩はランナーを抑止できない“弱肩”と言われている。2006年に濱中が右翼手として復帰した際には、ランナーを二塁や三塁に置いて打球が右翼に飛んできた場合(すなわちバックホームが求められる状況の時)、二塁手が通常よりさらに深いところで中継に入り、濱中の弱肩をカバーするという方法が考えられた。守備の負担軽減のため右翼手から一塁手へのコンバートも一時提案されたが、濱中本人がコンバートに難色を示したことと、広島から移籍したアンディ・シーツが正一塁手に固定されていたため、コンバートの話はなくなった。

しかし、一時は選手生命すら危ぶまれたほどの大怪我だったので、右肩は濱中について回る不安材料だと言うものもファンやマスコミに多い。そして次に肩を壊したら二度と野球ができなくなるとも言われている。そのためオリックス移籍後は指名打者としての起用も予想されるが指名打者にはカブレラやローズといった候補も多く、濱中本人は移籍会見で「右肩の不安を(周囲から)言われますが、自分は外野手1本でやることを考えています」と決意表明している。

エピソード
高校時代は投手をしながら1番を打っていた濱中であるが、その事については、過去のインタビューで「4番に座ると、練習試合でも、相手投手がみんな敬遠してくるので、1番を打たされていた」と答えていた。
2002年の阪神春季キャンプで、視察に訪れた長嶋茂雄から直接指導を受けたが、視察後の長嶋に名前を「はまだ」と間違えられてしまった。
阪神時代で2005年から使用されていた応援歌では「不死鳥」と歌われている。何度も怪我してもそのたびに復活してくる様を不死鳥に例えたもの。
2006年1月23日、サンケイスポーツが「濱中と女子バレーボール・JTマーヴェラス所属の菅山かおる選手が交際中」と報じた。この前日のJTの試合に、濱中が帽子にサングラス、マフラーという“変装”で観戦に現れたことがきっかけである。この報道に対して二人とも交際を否定した。なお、濱中は2003年7月に離婚しており、それ以後は独身だったが、2008年12月6日に一般女性と再婚したと発表した。
オリックスに移籍してからは、ファンからは「治」とコールされる。
プライベートでは大引啓次、阪神の藤本敦士や赤星憲広と交流があり、仲が良い。

個人記録
初出場:1997年9月20日、対中日ドラゴンズ26回戦(ナゴヤドーム)、3回表に代打として出場、山田洋の前に凡打
初安打:1997年9月21日、対中日ドラゴンズ27回戦(ナゴヤドーム)、5回表に今中慎二より左前安打
初打点:1998年10月1日、対ヤクルトスワローズ26回戦(阪神甲子園球場)、1回裏に高木晃次から
初本塁打:2001年5月13日、対広島東洋カープ8回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に河野昌人から左越サヨナラ3ラン
初盗塁:2001年6月16日、対横浜ベイスターズ12回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に二盗

タイトル・表彰
日本生命月間MVP賞(2006年3・4月度)
優秀JCB・MEP賞(2002年度、その年度のJCB・MEP賞8回)
オールスターゲーム選出2回(2003年、2006年=本文参照)

背番号
66 (1997年 - 1998年)
25 (1999年 - 2003年)
31 (2004年 - 2005年)
5 (2006年 - 2007年)
7 (2008年 - )

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