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小林宏之

小林 宏之(こばやし ひろゆき、1978年6月4日 - )
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。背番号は41。



人物・プレイスタイル
武器は長身のセットポジションから投げ下ろす140km/h前半~中盤の速球と縦気味に変化するスライダー、フォーク、チェンジアップなど。キレのある変化球(特にフォーク)を武器としており、奪三振率が高い。リリーフ時はストレートが140km/h台後半を記録したこともあった。

制球力には定評があり与四球率が低い。ピッチングスタイルは相手打者のウィークポイントを攻め、三振の取れる変化球を混ぜて打ち取っていくという、大きな特徴はないが制球力を生かしたバランスの取れたスタイルである。本人は自分の持ち味について「低目を丁寧につく投球」としばしばコメントしている。

ここ数年は、エースである清水直行の不調もありマスコミなどからエースと呼ばれることも多い。2008年には初の開幕投手を務めた。

野手としてのセンスには定評があり、フィールディングは上手い部類に入るほか守備で「足技」を見せることもある。延長戦で野手が足りなくなりそうな場合に備え、シーズン中いつもベンチ入りしており、実際に出場の準備をしたこともあるらしい。また、初めて打席に立った2005年セ・パ交流戦では、打率3割(10打数3安打、全て二塁打)、3打点をマークするなど、バッティングでもその力を発揮した。

調子の波が激しく、良い時には圧倒的な投球をするものの、悪い時には5回持たず降板することもある。また、2003年8月25日以降、2008年8月10日に敗れるまで、8月は5年越しで14連勝を記録した。一方で7月は調子が悪い年が多く、2007年は1勝も挙げる事が出来なかった。ただ、この点は年々改善されてきている。

試合中に足が痙攣を起こすことがしばしばあり、それは調子が良い証拠と語っている。事実、痙攣が起こった試合の投球内容は良い場合が多い。しかし、痙攣が治まらない時は逆に崩れることも多い。

経歴
1996年
ドラフト4位で春日部共栄高校からロッテに入団。

2001年
終盤から一軍に定着。

2002年
当初は先発起用されたが結果を出せず脱落、その後セットアッパーに回り活躍する。8回小林宏之・9回小林雅英と繋ぐリレーは「小林リレー」と呼ばれ、勝ちパターンの継投として定着した。またオールスターにも初出場を果たした。

2003年
開幕からリリーフとして活躍。中盤に再び先発に復帰しローテーションに定着、初の規定投球回と二桁勝利を達成。

2004年
先発ローテーションの一角として初めてシーズン通して先発起用され、8月には自身初の月間MVPも獲得した。しかし二桁勝利には届かず、全体的には不安定な内容だった。

2005年
交流戦中、打撃では打率3割に3打点、投げては6試合で5勝0敗という抜群の成績を残しチームの交流戦優勝に貢献。初代の交流戦MVPを獲得した。

清水直行、渡辺俊介らとともに先発三本柱の一角として活躍し結果シーズン12勝6敗、防御率3.30の好成績を残す。プレーオフ、日本シリーズでも活躍しチームの日本一に大きく貢献した。

2006年
WBC日本代表に選出。しかし渡米中に発熱などして調子が上がらず、本選で登板することはなかった。

WBCの影響とされる足の故障で開幕から出遅れ、4月27日に初登板(対オリックス・バファローズ)。2安打完封、98球で復帰勝利。その後、シーズン最終戦となった西武ライオンズ戦で10勝目を挙げ、2年連続の二桁勝利。

2007年
先発ローテーションを守り自己最多の投球回を達成。13勝を挙げ、3年連続の二桁勝利。奪三振率3位(奪三振5位)、勝率2位など好成績を残す。2007年のクライマックスシリーズでも第1ステージ第2戦・第2ステージ第2戦で先発したが、第1ステージでは2回途中6失点の大乱調で敗戦、第2ステージでは足の痙攣が治まらず4回途中に降板した。

北京五輪アジア予選日本代表に選出。背番号は14(41を稲葉篤紀がつけたため)。初戦の対フィリピン戦を打者3人、2奪三振で締めた。

2008年
プロ12年目で初めて開幕投手(対北海道日本ハムファイターズ)に指名される。6回途中まで無失点の好投を見せたが足の痙攣により降板、敗戦投手となってしまった。これ以降足の痙攣の影響で不調が続き5勝止まり。12敗を喫し、自己ワーストの防御率と先発としての役割は果たせなかった。

2009年
先発ローテーションの一角を担ったが、防御率4.29 4勝13敗という前年同様の不本意な成績に終わってしまった。

エピソード
前述の通り打撃にも定評があり、二軍時代に野手転向を打診されている。現在も交流戦で打撃成績を残している。
球場や新聞上の表記は「小林宏」。1998年から2007年までチーム内に同姓であり同じく投手の小林雅英がいた為だが、2008年から育成枠で小林姓の選手(小林憲幸、2009年10月30日自由契約)が入団したので、引き続き「小林宏」と表記されている。愛称は小林雅の「コバマサ」に対して「コバヒロ」。
足が長くモデル体型であり、端正な顔立ちからテレビ・ラジオなどでは「ロッテのイケメンエース」と紹介されることがある。ファッションにも気を使っており、好きなブランドはドルチェ&ガッバーナ。また、髪型や髪の色を頻繁に変えるのはファンの間でよく知られている。2005年のプレーオフ~日本シリーズではボストン・レッドソックスのブロンソン・アローヨにあやかり髪型をコーン・ロウスタイルにし話題を呼んだ。
プレーオフ1stステージではコーンロウで登板し勝利投手。続く2ndステージでそれを止めたところ敗戦投手に。験を担ぎ日本シリーズでは再びコーン・ロウにして登板、勝利投手になっている。
また、2006年のWBCの際、ファンからの公募で決めたヘアスタイルにしようとアメリカの理容店へ行ったが、英語がうまく伝わらず変な髪型になってしまったため急遽丸坊主にした。
バスケットボールやサッカー好きで知られる(小学校時代はサッカー部だった)。それが原因か二遊間に抜けそうな打球を足で止めることがしばしばあり、テレビの好珍プレーにも何度か登場した。2006年のマリーンズ公式サイトのプロフィールには、特技の項に「足技」、ファンに自分のここを見て欲しいの項に「トラップ」と記載。また最近はゴルフにはまっているらしい。
2008年9月29日の日本ハム戦、小谷野栄一が放った強烈なピッチャーゴロを右足でトラップして宙に浮かせ、それを捕球し一塁へ送球しアウトにするという離れ業をやってのけた。このプレーを見たCSの解説・岩本勉氏は「ロナウジーニョもしくはコンサドーレ札幌のダヴィのようですね」と絶賛(?)していた。
プロ入り4年目までは芽が出ず、徹夜で酒を飲み歩いたまま練習に出るなど荒れた生活を送っていた。しかしヤクルトから入団した同級生の山崎貴弘に諭されマジメに練習に取り組み始め、その結果徐々に一軍定着を果たす。山崎がいなければ辞めていたと後に語る。当時から親交が厚い。(本人のインタビューから要約)
初勝利は2001年の7月9日福岡ダイエーホークス戦。延長10回表に救援の藤田宗一が大道典嘉に3ランを浴び勝ち越しをされた後に2死から登板し打者1人を抑えた。その裏、無死満塁からフランク・ボーリックが逆転満塁サヨナラホームランを放ちチームは逆転勝利。劇的な試合の陰で初勝利を手にしている。
2004年開幕前に当時18歳の女性と入籍する。(当時小林宏之は25歳)
初代交流戦MVP、交流戦通算最多タイの11勝(2007年まで。中日・川上憲伸、千葉ロッテ・久保康友と同数)など交流戦を得意としていた。
2006年1月1日、TBS系で放送された『スポーツマンNo.1決定戦』では、初参加ながらショットガンタッチで12m50cmを記録し総合6位。運動能力の高さを見せた。
喫煙者であった。しかし、2007年シーズンを最後に禁煙している。
ちなみに、幼いときから大の読売ジャイアンツのファンとして知られ、交流戦で勝利したときはとても喜んでいた。
上原浩治と親交があり、小林は北京五輪の本戦のメンバーから漏れたが、予選を戦ったことからも、上原選手に五輪期間中もアドバイスをしていた。ただ2005年の交流戦のMVPで賞金を貰ったときに、何に使いますかと聞かれ、(赤ちゃんの)ミルク代に使うと答えたが、これに対して「何千万、貰っているプロ野球選手が、ミルク代はないやろ」と説教されたという。
2007年オフの契約更改の場にて、ポスティングシステムによる大リーグ移籍の希望を訴えたが、認められなかった。
夫人との間に1男がおり、2005年の読売ジャイアンツ戦での登板直前に誕生。「睡眠時間3時間ぐらい」(本人のインタビュー談話より)というコンディションで粘投を見せ勝利を収める。その後ヒーローインタビューで、巨人戦中継で全国放送の中、子どもの誕生に喜びを見せた。
2009年6月2日の巨人戦でチームが野手をすべて使い切ったため延長12回裏に大松尚逸の代走で起用された。俊足を見込んでの起用である。

背番号
41(1997年 - )

タイトル・表彰
2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選出(1試合 0勝0敗0セーブ 防御率18.00 1回投球 3奪三振 自責点2)
北京五輪アジア予選日本代表メンバー選出
オールスター出場 2002年、2004年、2005年、2007年(全て監督推薦)
月間MVP - 2004年8月
日本生命セ・パ交流戦最優秀選手賞(MVP) - 2005年
千葉市市民栄誉賞 - 2006年

個人記録

投手記録
初登板:1998年7月4日、対福岡ダイエーホークス11回戦(千葉マリンスタジアム)、11回表に救援登板・完了
初奪三振:2001年6月8日、対オリックスブルーウェーブ12回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回裏に進藤達哉から
初勝利:2001年7月9日、対福岡ダイエーホークス18回戦(千葉マリンスタジアム)、10回表に救援登板、1/3回無失点
初先発:2001年8月5日、対西武ライオンズ21回戦(千葉マリンスタジアム)、4回1失点
初先発勝利:2003年7月9日、対大阪近鉄バファローズ14回戦(千葉マリンスタジアム)、7回無失点
初完投勝利:2003年9月28日、対オリックスブルーウェーブ25回戦(千葉マリンスタジアム)
初完封勝利:2005年8月26日、対オリックス・バファローズ16回戦(千葉マリンスタジアム)

打撃記録
初安打:2005年5月18日、対広島東洋カープ2回戦(広島市民球場)、4回表に佐々岡真司から右中間へ二塁打
初打点:同上、5回表に佐竹健太から押し出し四球

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