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平野恵一

平野 恵一(ひらの けいいち、1979年4月7日 - )
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)である。
2007年までは内野手登録でそちらでの出場も多い。


プレースタイル
野球選手としては小柄だが、抜群の身体能力を活かした守備範囲の広さには定評がある。やや失策が多いものの、ダイビングキャッチなどの思い切りの良さが持ち味で好プレーも多い。走塁でもヘッドスライディングを多用する。このようなプレーに対して本人は「ケガを恐れていたらいいプレーは見せれないし、そもそもケガを恐れていたらそんなプレーはしていない」と持論を語っている。二遊間や中堅手、右翼手を中心に複数のポジションを守れるユーティリティープレイヤーでもある。

打撃はバントの成功率の低さを指摘されることもあるが本人は「サインの関係もあるが、どうせなら自分もセーフになってやろうとした結果」としており、速球に力負けしないパンチ力も持ち味。左打ちだが右投手よりサウスポーの方が成績が良い。

来歴

プロ入り前
神奈川県川崎市多摩区出身。川崎市立稲田中学校時代はリトルシニアの野球チームに所属する一方でサッカー部に所属し、左サイドのレギュラーとして活躍した。桐蔭学園高校では遊撃手を務め、3年時には主将として第79回全国高等学校野球選手権大会に出場。当時から守備は天才とも評された。当時同校のエースで後に阪神でもチームメイトとなる浅井良とは、高校3年間同じクラスだった。高校卒業後は東海大学に進学、遊撃手のレギュラーとして4年時に全日本大学野球選手権で優勝した。2001年のドラフト自由枠でオリックス・ブルーウェーブに入団。

プロ入り後
1年目の2002年から好守の遊撃手として即戦力になることを期待されていたが応えられなかった。

2003年からは二塁手にコンバートされ、開幕スタメンに抜擢された。打撃はまずまずだったが二塁守備の方で不安定な送球から失策を多発し、二塁から三塁手にコンバートされたホセ・オーティズと共にチームの守備を破綻させる要因となってしまった。

2004年は打撃好調でシーズン通してレギュラー起用された。規定打席に到達し、10盗塁と三塁打7本を記録した。守備でも硬さが取れ、堅実なグラブ捌きを見せるようになった。

2005年は大阪近鉄バファローズとの球団合併で同じ二塁手の水口栄二が加わったが、二塁手と外野手の併用で再三ファインプレーを見せた。前半戦は3割を超える打率をキープし、同年も規定打席に到達しチームトップの打率.285を記録。オールスターゲームにも出場、新人賞を獲得した。東北楽天ゴールデンイーグルスとのカードでは、サヨナラ安打とセカンドライナーの好捕で2日連続のお立ち台も経験。同年オフの契約更改において一般女性と結婚し、第一子が誕生していたことを明かした。

2006年には中村勝広監督の方針で中堅手に専念する構想があったものの、前年と同じく二塁手と外野手の掛け持ち状態となる。しかし二塁手として出場した5月6日の千葉ロッテマリーンズ戦で風速10m以上の強風が吹く中、ファウルフライを深追いし一塁フェンスに激突。打球は捕ったが胸部軟骨損傷、右腰の肉離れ、手首と右股関節の捻挫など選手生命を脅かしかねない大怪我を負いシーズンのその後を棒に振った。オフの契約更改で当初球団は公傷扱いにせず交渉が難航したものの、最終的には「公傷」という表現こそ使わなかったものの球団側が折れた。同年10月21日にスカイマークスタジアムで行われた練習見学会では練習終了後の挨拶で「こんな小さな身体のボクを見て、頑張れば自分もプロ野球の選手になれるんじゃないか、と思ってくれているチビッコたちにひとこと言いたいと思います……そんなに甘かねぇぞ!」と発言、観客の爆笑を呼んだ。

2007年は主に中堅手として出場。コリンズ新監督に「1番バッターは彼しかいない」と絶賛されたが、故障と打撃不振で二軍との往復に終始。シーズン終了後、阿部健太と共に濱中治・吉野誠との2対2の交換トレードにより阪神に移籍した。

移籍初年度の2008年は外野手登録となったが関本賢太郎・藤本敦士・坂克彦らとの二塁手レギュラー争いにも参戦。オープン戦で結果を残したこともあって、2番二塁手で開幕スタメン出場。1番打者赤星憲広とのコンビは話題を呼び内外野両方でたびたび好守を見せるなど、チームのスタートダッシュの大きな原動力となった。同年は3年ぶりに規定打席に到達し、リーグ最多の犠牲バント47個を記録。オフにオリックス時代の重傷からの復活を称え、セントラル・リーグのカムバック賞を受賞した。

2009年、一時はクレイグ・ブラゼルの加入によりスタメン落ちするも、赤星憲広の怪我もあり、金本知憲・新井貴浩・鳥谷敬ら、クリーンナップに次ぐ132試合に出場した。

タイトル・表彰・記録

タイトル・表彰
カムバック賞(2008年)

記録
初出場/初打席:2002年7月19日、対福岡ダイエーホークス12回戦(福岡ドーム)、6回裏に二塁手として途中出場/7回渡辺正和の前に一ゴロ
初安打:2002年9月21日、対大阪近鉄バファローズ25回戦(グリーンスタジアム神戸)、1回裏に高村祐から二塁内野安打
初打点:2002年9月22日、対大阪近鉄バファローズ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回裏にマイク・ジョンソンから右前適時打
初盗塁:2002年10月13日、対大阪近鉄バファローズ28回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回裏に二盗(バッテリー:岩隈久志 - 藤井彰人)
初本塁打:2003年7月4日、対日本ハムファイターズ13回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に金村曉から右越ソロ




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