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葛城育郎

葛城 育郎(かつらぎ いくろう、1977年9月28日 - )
阪神タイガースに所属するプロ野球選手。
外野手登録だが一塁手も務める。妻は松竹芸能所属の中山知紗。


経歴

プロ入り前
大分県大分市出身。倉敷商業高校では3年時に県大会ベスト4まで進出した。関西学生野球連盟所属の立命館大学に進学後は、2年時に監督と部員が指導方法をめぐってぶつかった際に監督へ2年生の気持ちを説明し、一方で部員たちをまとめ上げた。4年時の1999年にはリーグ戦春夏連続優勝し、大学通算でベストナイン3回、MVP1回を獲得した。当時を知る関係者からは『伝説のキャプテン』と呼ばれたという。同年秋のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブを逆指名しての2位指名で入団。

プロ入り後
2年目の2001年に長打力を発揮してレギュラーに定着、打率.268、14本塁打を記録した。

2002年には石毛宏典新監督の下で主軸として期待されたが、新ストライクゾーンの影響もあり打率.221、1本塁打に終わった。2003年は9本塁打を記録したが下位打線を打つことが多かった。同年11月、投手力の強化を図るチーム方針により斉藤秀光・谷中真二との交換トレードで牧野塁と共に阪神へ移籍した。

移籍初年度の2004年は代打を中心に77試合に出場したが、打率は2割前半で出塁率も3割に届かず、オリックスではほとんど経験の無かった代打での打率は1割台と全く活躍できなかった。チームが優勝した2005年には一軍で1打席、2006年にはケガも重なり一軍出場なしに終わり、一時は引退を覚悟した[1]。

2007年は若手の喜田剛、桜井広大らを押しのけて開幕一軍を勝ち取り、左の代打として出場した。その後、5月に赤星憲広が椎間板ヘルニアで、8月に林威助が右肩痛で離脱した際にはスタメンでも起用され、林の離脱時には高橋光信と共に穴を埋めた。打率は高くないものの勝負強く、9月にチームが10連勝した時には5番を打つこともあり、最も出場数の多かった9月には3割を超える月間打率を記録した。外野守備も以前は送球に難があり、落下点に入りながら落球というプレーもあったが向上している所を見せた。

2008年、アンダーグラフの真戸原直人が自分の応援をしていると2007年秋ツアーで語ったのをきっかけに、テーマソングをアンダーグラフ「9」にした。同じ左打ちの外野手である林が肩を手術した影響で開幕に間に合わなかった事もあり、前年に引き続き開幕一軍入り。シーズン当初はFAで加入した新井貴浩が一塁手、新外国人のルー・フォードが右翼手としてスタメン起用されてベンチスタートだったが、フォードの不振により林が復帰するまでは5番右翼手として積極的にスタメン起用された。林の復帰以降は再び控えに戻ったが、夏場に新井が怪我や五輪で離脱した際には前年同様に高橋との併用で一塁を守った。代打での打率は3割6分8厘を記録し、守備面でも準レギュラーとして外野手と一塁手を兼任して1失策と安定したプレーが見られた。

勝利の雄たけび
2008年7月2日の中日ドラゴンズ戦でサヨナラ安打を打った後のヒーローインタビューで、インタビュアーの清水次郎(朝日放送)から「勝利の雄叫びを」と言われ、両手を挙げて「ウォー!」と叫び、以来葛城の代名詞の1つとなっている。妻からは「あれはないわ~。(昔のドラマの)吉田栄作かっ!」と、厳しいツッコミが入ったというが、7月13日の広島東洋カープ戦で再びヒーローインタビューを受けた際にも雄叫びを披露し、9月10日の東京ヤクルトスワローズ戦でも披露した。この際もインタビュアーの清水アナから「イクローさん、お願いしますよ!」とリクエストされ、マイクを預かってファンと共に「1・2・3、ウォー!!」と叫び、それに合わせてジェット風船が飛ばされた。9月29日の広島戦では本人は出場していなかったにも関わらず、ヒーローに選ばれた金本知憲の計らいにより、飛び入りでヒーローインタビューに参加して4度目の「ウォー」を披露した。

2008年8月26日には葛城がプロデュースして作成した「ウォー」Tシャツの発売を球団が発表した。

個人記録
初出場:2000年8月27日、対千葉ロッテマリーンズ戦(グリーンスタジアム神戸) 11回に三輪隆の代打として出場、小林雅英の前に三振
初安打・初打点・初本塁打:2000年9月10日、対日本ハムファイターズ戦(グリーンスタジアム神戸) 2回立石尚行からソロ

背番号
3 (2000年 - 2003年)
33 (2004年 - )


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