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田上秀則

田上 秀則(たのうえ ひでのり、1980年3月20日 - )
福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(捕手)。


プレースタイル
広角に長打の打てる打撃が持ち味。左投手に滅法強く、特に2007年は対左投手で打率.405、本塁打6本の成績を記録した。打席での集中力が高く、代打起用でも好成績を残している。

守備面では、捕手として解説者からキャッチング面の不安を指摘されることもあったが、2009年シーズンは約8キロの減量効果もあり、打撃面・守備面ともに向上している。

経歴

プロ入り前
敷津浦小学校時代に野球を始め、住之江中学校進学後は黒田一博が監督を務めていたボーイズリーグ・オール住之江に入団。大阪産業大学附属高校を経て入学した九州共立大学では、山村路直・新垣渚ら大学球界を代表する投手の球を受けてきた。大学2年時には明治神宮野球大会で優勝。打者としても大学最後のシーズンでリーグ新となる9本塁打を打ち、その年のドラフトで中日ドラゴンズに3巡目で指名され入団。背番号9を与えられ、大型捕手と期待された。

プロ入り後
長打力には定評があり、2年目の2003年には13本塁打を放ちウエスタン・リーグ本塁打王を獲得。2004年には就任したばかりの落合博満監督から「右の4番候補」として期待された。しかし、4年間で1軍出場13試合、2安打と結果を残せず、2005年オフに戦力外通告を受けた。

その後、城島健司がFA宣言したため捕手の補強を目指していた福岡ソフトバンクホークスの入団テストに合格。ホークスに在籍した山村・新垣・馬原孝浩・高橋秀聡と大学時代にバッテリーを組んでいた経験も考慮されたものと思われる。

2006年5月末、得点力不足にあえぐチーム事情のため1軍昇格。6月1日の横浜戦でスタメン出場し、三浦大輔からプロ初本塁打を放つ。その後は1軍での守備経験の少なさから、主に打力を買われての指名打者や代打での出場となった。捕手6試合、一塁手1試合、三塁手2試合を守ったが、それ以外はすべて指名打者での出場。1番大村直之、2番川崎宗則、4番松中信彦ら左打者が上位打線に固定されていたため、スタメンの際は主に3番を打った。一時期、三塁手へのコンバートも検討されたが、小久保裕紀の復帰や田上本人の希望もあり、引き続き捕手で登録されている。

2007年、自己最多のホームラン(9本)を放ち、捕手として78試合に出場するなど出場機会が増加した。

2008年、前年に続いて開幕1軍入り。3月24日のロッテ戦では生涯初のサヨナラヒットを放った。この日は開幕初スタメンで、先制打、同点打、サヨナラヒットを一人で放ち、チームの開幕5連勝に貢献した。しかし、4月30日の西武戦での守備中に、本塁に突入した中島裕之と交錯した際、左足首を捻挫し戦線を離脱。9月2日に1軍復帰を果たすが、ホークス移籍後最少の出場試合数に終わった。

2009年、5月から正捕手に定着。5月14日のロッテ戦でプロ入り初のサヨナラ本塁打を放った。6月6日の広島戦でマツダスタジアムの新幹線防護ネットに突き刺さる球場初の場外本塁打を放った(推定140m)。7月、監督推薦によりオールスター戦に初選出された。主に8・9番での起用ながら本塁打を量産し、9月3日のオリックス戦で第20号の本塁打を放った。10月11日のシーズン最終戦で26号を打ち球団通算7500本塁打の記念アーチとなった。ホークスの捕手で20本塁打・80打点を記録したのは城島以来4年ぶり。初めて規定打席に到達し、チーム最多の26本塁打、下位打線ながらリーグ9位の80打点をマークした。

人物
中日時代は打撃を生かすために一塁手にコンバートする案が度々浮上していた。

ホークスへのテスト入団に際して、同じ強打の捕手である清水清人との争いだったが、「年齢が若い」という理由で田上が合格となった。しかし田上は早生まれであるため清水とは同学年である。合格者は多くて1人と言われており、プロ野球人生の中でこの入団テストが一番印象深いといい、「僕の場合これがプロ野球の人生の原点と言っても過言じゃないですよ」と語っている。

2006年の田上の部屋には、当時入院していた王貞治監督からファックスで送られたホセ・フェルナンデスのフォロースルーの写真が貼ってあり、打撃の参考にしていたという。

2007年のシーズン中に行われた、王監督の提案によるチーム内でのホームラン競争で、50スイング中22本の柵越を放ち優勝を飾った。

ヒーローインタビューで褒められると、ほとんどと言っていいほど「たまたまです」の一言だけを返すなど、口数が少ないと思われているが、本人は「喋るのは嫌いだったり苦痛ではないが、お立ち台では緊張してしまう」と雑誌などで語っている。 しかし、2009年シーズンは正捕手として起用され、決勝点となる本塁打数も多かった事もあり、お立ち台に立つ機会も前年以上に増えた。本人もこの事で自信がついたのか、「完璧でした」と発言するようになった。

表彰
JA全農Go・Go賞 3、4月度「好走塁賞」- 2008年

背番号
9 (2002年 - 2003年)
56 (2004年 - 2005年)
70 (2006年 - )

個人記録
初出場:2002年10月8日、対ヤクルトスワローズ28回戦(明治神宮野球場)、8回裏に捕手として出場
初安打・初打点:2002年10月14日、対阪神タイガース28回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手として先発出場
初先発出場:同上、8回表に川尻哲郎から
初本塁打:2006年6月1日、対横浜ベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、2回表に三浦大輔から



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