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庄田隆弘
庄田 隆弘(しょうだ たかひろ、1979年11月9日 - )阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。
愛称はぼんちおさむに似ていることから「ぼんち」。
経歴
プロ入り前
奈良県桜井市出身。小学3年生の時に野球を始める。中学時代はボーイズリーグの「橿原コンドル」に所属し、3年時には第1回ジャイアンツカップ全国少年野球大会に出場。チームの1年先輩には後にプロでもチームメイトとなる関本健太郎がいた。智辯学園高校では1年時からレギュラーとなり、1年夏の第77回全国高等学校野球選手権大会に3年夏の第79回全国高等学校野球選手権大会と2度の甲子園出場を果たす。1年夏は福留孝介、前川克彦、前田忠節、辻田摂らを擁するPL学園高校を準々決勝で破って4強入りに貢献し、自身も本塁打を放った。3年夏も甲子園で本塁打を放ち、3回戦で大須賀允を擁する前橋工業高校に敗れたものの16強入り。高校通算20本塁打。
高校卒業後は明治大学に進学し、2年時の春季リーグからレギュラーとなる。社会人野球のシダックスに入社後は主に1番右翼手として活躍し、2003年には野村克也新監督の下でJABAベーブルース杯争奪大会の首位打者となり、第74回都市対抗野球大会では準優勝を果たした。俊足の左打者であることが評価され、同年秋のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースに6巡目で指名され入団。スポーツライターの小関順二はこれをチームの後輩である野間口貴彦を獲得するための指名と指摘したが、翌年野間口は読売ジャイアンツに入団した。
プロ入り後
2004年は開幕前の教育リーグで右手首を骨折したが6月に復帰。故障した桜井広大の代替選手としてフレッシュオールスターゲームにも出場した。
2005年はウエスタン・リーグで82試合に出場し、規定打席不足ながら打率.306、出塁率.400を記録。
2006年は二軍で80試合出場、同年も規定打席にはわずかに足りなかったがリーグ2位の29四球を選んで打率.262に対し出塁率.367と選球眼の良さを見せた。
2007年はセ・パ交流戦期間中の6月11日に、プロ4年目にして初の一軍昇格を果たした。交流戦中はしばしばスタメンで起用され、リーグ戦再開後は代打としてチームに貢献。同年に活躍した若手として桜井、坂克彦らと共に3Sとも呼ばれた。二軍では58試合に出場して打率.281、出塁率.380を記録。
2008年から背番号が64から0に変更となった。同年も開幕は二軍で迎え、なかなか一軍昇格の機会が無かったが夏場に一軍昇格。前年の半分程度の出場数に終わったが、8月3日の横浜ベイスターズ戦で初の猛打賞を記録するなど少ない打席数ながら打率.304と結果を出した。二軍では78試合に出場して規定打席に到達し、共にチームトップとなるリーグ3位の72安打、同5位の34打点に、規定打席に達した選手の中ではリーグトップの出塁率.371、同2位の打率.290を記録した。
プレースタイル
打撃は左投手に対して弱く、そのためか2007年に一軍で対戦した投手は全て右投手で2008年も左投手と対戦したのは2打席だけだった。また、打席数が少ないので安易な判断は出来ないが、2007年は得点圏打率.111とチャンスで打てなかった。
俊足と言われるが2006年は二軍で盗塁無し、他の年も盗塁失敗の方が多く盗塁技術は低い。一方で打席数に比べると三塁打が多く、一定の走塁技術はあることがうかがえる。
外野守備はやや失策が多く守備率も低い方だが、右翼手としては守備範囲、肩とも平均かそれ以上の物を持っている。その反面2008年の春季キャンプにおいて練習試合などで守った左翼手の守備はお世辞にも上手いとは言えず、左投げであることも相まって守備位置に融通が利かない。
記録
初出場・初先発出場:2007年6月13日、対西武ライオンズ3回戦(グッドウィルドーム) 9番右翼手
初打席・初安打:同上、3回表に岸孝之から右前打
初打点・初本塁打:2007年6月16日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(千葉マリンスタジアム) 6回表に清水直行からソロ
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