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細川亨

細川 亨(ほそかわ とおる、1980年1月4日 - )
埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(捕手)。
ニックネームは「キヨシ」(顔が氷川きよしに似ていることから)。
前監督の伊東勤が名付け親である。
ホームゲームでの登場テーマには、細川本人が自前で購入した氷川きよしの「きよしのズンドコ節」が使われており、登場時の掛け声「キヨシ!」は名物化している


来歴

アマチュア時代
青森北高では主将を務め、県大会では1年次から出場。強肩強打の捕手として活躍したが、甲子園出場はなかった。同級生には歌手のSONOMIがいる。

青森大学では捕手として異例の1番打者として活躍し、先頭打者本塁打も記録。全日本大学野球選手権大会ではベスト4に進んでいる。当時のメンバーには工藤隆人がいた。


プロ入り
2001年
自由獲得枠で西武ライオンズに入団。

2002年
伊東勤や野田浩輔の活躍もあって一軍での試合は2試合のみだった。

2003年
93試合に出場し、この年で現役を引退した伊東の73試合出場を超えて事実上正捕手として活躍し、頭角を現す。

2004年
現役を引退した伊東が監督就任したこの年、ポジションを争っていた野田の負傷もあり、初の100試合出場(116試合)を果たした。4月4日の北海道日本ハムファイターズ戦でプロ野球史上63度目のサイクルヒットを達成した。伊東監督に「アマチュアでついた癖はなかなか直しにくいが、細川はのびのびやっていたからよかった」と名指しで評価を受けた。 なお、5月12日にサンマリンスタジアム宮崎で開催されたホークス戦において、同球場のNPB公式戦第1号となるホームランを記録している。

2005年
リード面では一定の信頼を得たものの、リーグ最多の捕逸数を記録し、さらに企図数は少ないものの盗塁阻止率もリーグワースト2位と捕手としての評価を下げる結果を残した。捕逸ワーストという数字が示すほど実際は捕球技術が拙劣というわけではないが、つまりそれは単純ミスが多いという裏返しでもあった。

2006年
前年の守備難もあり、開幕戦スタメンを高卒新人・炭谷銀仁朗に明け渡す結果となり、苦しい立場でのスタートとなった。しかし春季キャンプで伊東監督から「スナップスローを心がけてみろ」と指導を受けた結果、盗塁阻止率がセ・パ両リーグ通じて最高の.469を記録すると同時に、年間通じて捕逸無しとこちらも向上。前年リーグ最下位・準最下位の辛酸を嘗めた両部門で一転リーグトップに転じるという長足の進歩を見せた。 更に打撃でもフォーム改造(後述)の奏功もあって終盤好調を維持するなど改善の兆しを見せ、また最大の懸案であったリードも伊東監督に「落ち着いてリード出来るようになった」と信頼を得るなど、全面において大きく評価を上げた一年となった。 この年で日本球界を去ることになった松坂大輔が登板するときは炭谷ではなく細川がバッテリーを組み、またシーズン終盤には涌井秀章が先発登板した試合にもスタメンマスクをかぶるなど(シーズン当初、涌井が先発する試合では銀仁朗がスタメンで起用されることが多かった)、レギュラー争いを一応は制した格好となった。 パ・リーグ最多の26個犠打を記録。 2006年12月29日、伊東監督の現役時代の背番号27を受け継ぐことが決まり、2007年シーズンからは晴れて背番号27でプレーすることになった。

2007年
一年を通して正捕手の座を手放すことなく活躍し、捕手ではリーグ最多となる139試合に出場した。打撃もわずかではあるが向上し、自己最高の打率.239、打点43、3年ぶりの2桁本塁打を記録した。 2年連続で12球団でトップとなる盗塁阻止率.405を記録した。 9月は若手起用の方針から銀仁朗のスタメン起用が多かったが、その際には8・9回の守備を担当する「抑え捕手」として出場した。 打率.239は自己最高であるが、規定打席到達者の中でリーグ最低であった。低打率でも起用され続けたということは、守備面での信頼をつかんだことを表している。 リーグ6位の21犠打で、4年連続20犠打を記録した。 追い込まれると弱く、1ストライクまでの打率は.288と高かったが2ストライク後の打率は1割台だった。 同年10月1日に1試合だけ7番で、10月5日の最終戦で2番に起用されたが、8・9番以外の打順で起用されるのはプロ6年目で初めてである。

2008年
本塁でのブロックした際に利き手を縫う怪我をするなど133試合の出場に留まったが本塁打、打点共にプロに入って最高成績を記録し、打率も去年のベストに近い数字を出し、自身初のベストナイン(捕手部門)に選出される。一方、三振数が129と去年よりも増えてしまった。 日本シリーズで第4戦まではスタメンマスクをかぶっていたが、第5戦の1回の表で一塁に滑り込んだ際に右肩を脱臼しそのまま負傷交代するアクシデントが起こる。銀仁朗が以後を引継ぎ見事に日本一を達成、細川は負傷した右肩の治療に専念するのため、アジアシリーズにも出場しなかった。 北京オリンピック野球日本代表最終候補選手に選出されるも、最終メンバーには選出されなかった。 オールスターゲームに、自身初となるファン投票1位(捕手)で初出場を果たした。 リーグ3位でチームトップとなる23犠打で、5年連続20犠打を記録した。 守備面では捕逸をリーグワーストの8個記録したものの、捕手として12球団トップの133試合に出場し、自身初となるゴールデングラブ賞を受賞した。

2009年
2009年のWBC日本代表のメンバーに選ばれ、強化試合などで打撃も守備面も悪くはなかったが、昨年負傷した右肩の影響もあり、最終メンバーから漏れてしまった。レギュラーシーズンでも故障が完治せず、また銀仁朗、上本達之の成長があり、46試合の出場にとどまった。

プレースタイル

守備
非常に頑丈な身体でブロックも上手く、本塁での相手選手からの体当りにもボールを離さない。リード面では慎重に相手の苦手コースを付くのが特徴で、同僚の野田、銀仁朗とはまったく異なるリードを見せる。2006年以降は盗塁阻止率も向上した。2003年、当時選手兼コーチであった伊東勤は細川と野田の将来の正捕手候補に二人に対して「二人は使わない。二人使うと二人とも死ぬ」と正捕手一人を育成することを明言した。結果、伊東が長年着用していた背番号「27」は細川に受け継がれた。

野村克也は著書やインタビューで度々細川のキャチャー技術を高く評価しており、「今のパリーグのキャッチャーの中では、一番キャッチャーらしい」としている[要出典]。2008年の日本シリーズ第7戦で先発の西口文也の投げたスライダーを銀仁朗が取れずに捕逸で失点してしまった場面では「これは細川なら取れていた」とコメントした。2009年のWBCにおいては、原辰徳監督は城島健司を正捕手として起用したが、野村は細川が適任であると考えていた。

打撃
打撃には安定性が無いが、その大柄な体格を活かした一発長打があり、その打球方向は殆どがレフト方向へ向かうプルヒッターである。また5年連続20犠打以上記録するなど、バントや小技が上手く、自分の本塁打よりもチームプレイに徹するタイプである。

2005年シーズンは打率が1割台に低迷、2006年シーズン前半もチームメイトから「身長並み」と揶揄される極端な低打率となったことから、シーズン中盤からバッティングフォームを大幅に変え、ランナーがいてもいなくてもバントの構えからヒッティングに切り替えるバスター打法を取り入れた。フォーム改造後は大幅に三振を減らし、本塁打も増え、「恐怖の8番打者」として注目を集めた(しかしシーズン通算打率は1割台に終わっている)。2007年シーズン開幕当初はバスター打法をやめていたが、またしても打率が低迷し、再びバスター打法に戻した。2008年にはバスター打法をやめている。この打法は細川の登場テーマに引っかけて「ズンドコ打法」と呼ぶこともあり、楽天の嶋基宏やソフトバンクの山崎勝己、本多雄一が一時期取り入れるなど、球界に静かなブームを呼んだ。文化放送ライオンズナイターの斉藤一美アナウンサーは細川に「バスターでドカン」というニックネームをつけている。

背番号
47(2002年 - 2005年)
30(2006年)
27(2007年 - )

個人記録
初出場:2002年9月22日、対千葉ロッテマリーンズ26回戦(千葉マリンスタジアム) 8番・捕手で先発出場
初安打:2003年4月2日、対オリックス・ブルーウェーブ3回戦(西武ドーム) 7回表吉井理人から左中間二塁打
初本塁打:2003年4月21日、対オリックス・ブルーウェーブ4回戦(札幌ドーム) 6回裏具臺晟から右越2ラン
初打点:2003年4月4日、対大阪近鉄バファローズ1回戦(西武ドーム) 5回裏ジェレミー・パウエルから左越適時二塁打
初盗塁:2003年6月29日、対福岡ダイエーホークス16回戦(福岡ドーム) 5回表に二盗

タイトル・記録・表彰
ベストナイン:1回(2008年)
ゴールデングラブ賞:1回(2008年)

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