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石井慧

石井 慧(いしい さとし、男性、1986年12月19日 - )
日本の総合格闘家、元柔道家(五段)。
大阪府茨木市出身。紫綬褒章受章。血液型はO型。出身道場は修道館(大阪府)。


来歴

柔道家
茨木市立大池小学校5年生の頃、父親の指導で柔道を始め、本格的に取り組むべく清風中学に入学。高校1年生の時により柔道の強い環境を求め国士舘高校へ志願編入。その後、国士舘大学体育学部武道学科に入学。

2004年に講道館杯全日本柔道体重別選手権大会100kg級で優勝した。高校生の優勝は史上3人目で、翌年には連覇を果たした。2006年、全日本柔道選手権大会に初出場ながら鈴木桂治を破り、19歳4か月の史上最年少で優勝した(それまでの最年少優勝記録は山下泰裕の19歳10か月)。同年アジア競技大会(ドーハ)では100kg級で準優勝した。

2007年全日本では準決勝では井上康生に勝利したが、決勝で鈴木桂治に敗れた。同年嘉納治五郎杯東京国際柔道大会より100kg超級に転向し、優勝。以後無敗で引退。

2008年2月のオーストリア国際で優勝を果たした。4月29日、全日本選手権決勝で三度鈴木桂治と対戦し、優勢勝ちで2年ぶり2度目の優勝をすると共に、北京オリンピック柔道男子100kg超級日本代表選手に選出された。決勝戦の対戦姿勢(ポイントリードを守る)には、観客からのブーイングがあったほか、柔道家・世論の一部から批判があり、柔道の国際化とスタイルの変容・日本柔道界のあり方についての議論があった。

2008年8月15日、北京オリンピック柔道男子100kg超級に出場、準決勝までの4試合はすべて一本勝ち、決勝ではアブドゥロ・タングリエフ( ウズベキスタン)と対戦、指導2つの優勢勝ちで金メダルを獲得した。優勝直後のインタビューで「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、新語・流行語大賞の候補60語にノミネートされた。

総合格闘家への転向
2008年10月6日、プロ総合格闘家への転向がスポーツ報知の一面で報じられ、明らかになった。また、出場予定だった当日の世界選手権団体も調整不足を理由に辞退した。翌日の10月7日の会見では、「卒業のことで頭がいっぱい。焦らずゆっくり考えたい」と進退の明言を避けた。10月31日、全日本柔道連盟に対して強化指定選手辞退届を提出。11月3日に記者会見で「11月3日をもって柔道家をやめ、プロ転向を決めました。総合格闘技のチャンピオンになれるようにがんばります」 と、正式にプロ転向を表明した。

2008年11月17日に個人事務所「Twill33」(ミーサン)を設立し、取締役である(マネジメントはケイダッシュ)。2008年12月16日にUFCへの参戦意志を明言。同年12月27日にアメリカ合衆国で開催されたUFC 92を観戦し、同日深夜にUFCを主催するズッファ社と独占交渉契約を交わした(2009年1月末で独占交渉期限切れとなった)。

2009年1月4日、戦極の乱2009のリングにUFCのTシャツ姿で上がり「これからアメリカで試合をすることになりましたが、いつか大きなお土産を持ってこのリングに立ちたい」と発言した。同年6月1日、記者会見で戦極と同日に仮契約したことを発表。「本契約はファンの前でしたい」とし、6月4日に新宿ステーションスクエアにて本契約の公開調印式が行われた。

2009年3月から2か月半の間、ブラジルのパラー州ベレンにある、リョート・マチダの道場で武者修行を敢行。リョートの打撃を顎がずれてしまうほど食らいながら練習に励んでいたため、その後に他の道場で練習するとリョートと他のファイターの打撃のスピードの余りの違いに驚いたという。

練習拠点である東京都足立区のパワーオブドリームにて、大晦日のSRC(戦極)デビュー戦となる吉田秀彦戦に向けて調整をしている。

2009年9月、国士舘大学を卒業(単位が足らず、同年3月での卒業はできなかった)。


戦型
100kg以下級であったが、2007年秋に100kg超級へ転向した。左利きで、超級のクラスでは上背はないものの、その筋肉量、スタミナはトップクラスである。練習の虫として知られ、特にウエイトトレーニングは寝る間を惜しむほど行い、ベンチ・プレス200kg以上を挙げることができる。得意技は大内刈で、世界トップクラスの切れ味を持つ。全日本決勝で鈴木桂治を2度破ったのも大内刈である。しかし、弱点は他に技が少ないことである。だが2007年あたりからは体落としを、2008年から大外刈や内股も出すようになってきた。寝技も得意。パワーとスタミナの強さから受けが非常に強い選手で、また試合の駆け引きがうまい。よって、旗判定が行われる国内試合に強い選手といえる。

怪我を恐れてコーチが練習を止めると、泣いて「練習させてくれ」と懇願することもあったという。自身を「一本をとる技はない」「才能はない」と認めており、その分を人一倍の努力(練習による筋力増強と研究熱心さ)で補っている。全日本男子監督の斉藤仁も「世界一」と認める練習の虫である。

その練習量の多さから、史上最強を謳われる柔道家木村政彦の弟子岩釣兼生は「(木村の)鬼の柔道を継げるのはあいつしかいない。山下君クラスに成長していく可能性がある。絶対に勝ってやるという、そのための努力の量と質が人とは違う」(『ゴング格闘技』2008年12月号)と発言している。

柔道だけでなく、レスリングやブラジリアン柔術の道場にも1人で出かけて腕を磨く。積極的に他競技の技術も学んでいる。ブラジリアン柔術では茶帯(黒帯に次ぐ位)を取得している。


エピソード
中学・高校時代の指導員で、のちに清風学園柔道部監督になる魚澄豊治は、石井について「中学入学時の実力は、同期の部員の中でも下から数えたほうが早かった」と語っている。ちなみに、清風中学校にはスポーツ推薦ではなく、1日平均8時間の猛勉強をこなして、一般入試を受験し、合格している。
中学・高校時代には体育教師をしている父・義彦(柔道六段、日体大柔道部出身)に、毎日弁当(朝練があるので2個)を作ってもらっていた。現在も人間として尊敬している人物は父だと明言している。
母親も体育教師で、父とは体育大学の同級生だったという。母はハンドボールの世界選抜に選ばれた経験があり、妹も水球のGKで全国優勝している選手。スポーツ一家。
好きなスポーツ選手は朝青龍(強くて、バッシングを受けている部分に共感するから)で、2008年1月の場所中に実際に会いに行き、励ましてもらっている。2008年4月の全日本選手権では朝青龍が観戦に駆けつけた。
また柔道家としては小川直也を尊敬していて、高校生時代には小川からのアドバイスが欲しいがために小川がよく顔を出す明治大学の道場を訪れたりしており、そのため現在も小川とは親交がある。石井の北京オリンピックに向けた壮行会も茅ヶ崎市にある「小川道場」で開かれたほか、北京オリンピック後には「橋本真也の『破壊なくして創造はなし』の精神を継いでほしい」との思いから、小川から「真・破壊王」の称号を与えられた。
2008年9月28日には小川直也が主催する小川道場を訪れ、北京オリンピックで獲得した金メダルを寄贈した。寄贈後に石井が大外刈りを披露すると、小川は石井の大外刈りを「STI(スペース・トルネード・イシイ)」と命名した。
読書家で、戦国歴史物からイチローやイビチャ・オシムなど他のスポーツ選手についての著書や発言集に至るまで幅広く読み、心構えやトレーニング方法などを柔道に取り入れる。上杉謙信を尊敬し、一番の愛読書は海音寺潮五郎の「天と地と」。好きな言葉を聞かれた時にも「天と地と」をあげたことがある。
2008年4月の全日本体重別選手権に怪我で出られなくなり、北京オリンピック選考に不利になったことで、気づいたら屋上の上に立っていて死のうと思っていたという(本人談)。
北京オリンピック代表選考会のあった4月に、ライバルの棟田康幸、井上康生のもとへ異例のアポなし出稽古にいくが、断られる。これで「自信を取り戻した」という。
北京オリンピックにおいては金メダルばかりがクローズアップされるが、特筆すべきはその試合内容、特に5試合通して失点ゼロである点である。相手の技による失点だけではなく、反則ポイントも全く受けていない。これは反則が取られやすい国際ルールでは稀なことであり、石井の試合運びの上手さが体現されたと言える。
北京オリンピックで金メダルを獲得した後、多くのマスコミが取材を申し込んだが、石井の奔放な発言に懸念を抱いた全日本柔道連盟がテレビ出演をすべて断っており、雑誌取材も『近代柔道』を除いて全て却下された。北京オリンピック後に飛び出した発言の多くは、各種の祝勝会や報告会の場におけるものである。石井は「喋りでも実力があるところを見せたかった」「(他のメダリストのように)生放送出演したかった」と残念がっているという。
2008年9月22日にエメリヤーエンコ・ヒョードルと初顔合わせする予定だったが、会見の約2時間前に中止となった。
プロ会見終了後にTBSの格闘班スタッフが石井のもとを訪れると、「これから宜しくお願いします」と帽子を取って、何度もお辞儀して挨拶するなど、礼儀正しい一面も持ち合わせている。
プロ転向後はSMAP×SMAPを皮切りにバラエティ番組にも出演している。
2008年11月6日、両国国技館にて行われたダライ・ラマ14世の講演に花束贈呈者として呼ばれていたが、質問コーナーで自分の格闘技の進路について「自分で決めるばかりでなく、時には長いものにまかれることも必要なのでしょうか?」と質問をし、「状況をよく見て考え、最終的には自分で決めるものだと私は思います。」とアドバイスを受けた。
2008年11月13日、本人監修協力のもとで、語録本『石井訓(いしいくん)』(光文社)が発行された。
「自分はヒクソンへのリスペクトの塊ですから光栄です。チョー会いたいです」「ヒクソンと一緒に生活したいです取り入れているヨガとか教えてほしいし、精神面のアドバイスも もらえたらうれしいっス。確かヒクソンは日本に来ると山にこもるんですよね? 一緒に行けたら夢のようです」「ヒクソンに教えてもらえれば、自分はチョー(寝技の実力が)伸びます。ヒクソンの息子になりたい」(東京スポーツ 2008年12月2日販売号より)とヒクソン・グレイシーへの憧れを公言している。
ジャイケルマクソンに出演した際に熟女好きを公言している。

戦績
2004年:全国高等学校総合体育大会(100kg級) 優勝
2004年:全日本ジュニア体重別選手権大会(100kg級) 優勝
2004年:アジアジュニア柔道選手権(100kg級) 優勝
2004年:世界ジュニア柔道選手権大会(100kg級) 優勝
2004年:講道館杯全日本柔道体重別選手権大会(100kg級) 優勝(史上3人目の高校生王者)
2004年:韓国国際柔道大会(100kg級) 優勝
2005年:嘉納治五郎杯国際柔道大会(無差別級) 3位
2005年:フランス国際柔道大会(100kg級) 3位
2005年:ハンガリー国際柔道大会(100kg級) 準優勝
2005年:全日本選抜柔道体重別選手権大会(100kg級) 3位
2005年:全日本学生柔道優勝大会(国士舘大学) 準優勝
2005年:講道館杯全日本柔道体重別選手権大会(100kg級) 優勝(連覇)
2005年:韓国国際柔道大会(100kg級) 優勝(連覇)
2006年:嘉納治五郎杯国際柔道大会(100kg級) 準優勝
2006年:オーストリア国際柔道大会(100kg級) 優勝
2006年:全日本選抜柔道体重別選手権大会(100kg級) 3位
2006年:全日本柔道選手権大会 優勝 (初出場・史上最年少での優勝)
2006年:全日本学生柔道優勝大会(国士舘大学) 優勝
2006年:ワールドカップ柔道国別団体選手権出場
2006年:ドーハアジア競技大会(100kg級) 準優勝
2007年:全日本柔道選手権大会 準優勝
2007年:嘉納治五郎杯東京国際柔道大会(100kg超級)優勝
2008年:オーストリア国際柔道大会(100kg超級) 優勝
2008年:カザフスタン国際柔道(100kg超級) 優勝
2008年:全日本柔道選手権大会 優勝
2008年:北京オリンピック柔道競技(100kg超級) 金メダル(最重量級最年少王者)





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