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野村忠宏

野村忠宏(のむら ただひろ、男性、1974年12月10日 - )
奈良県北葛城郡広陵町生まれの男性柔道家。2
009年4月より弘前大学大学院医学研究科博士課程所属。
天理高校 - 天理大学 - 奈良教育大学大学院修了。ミキハウス所属。
柔道五段。得意技は背負投。身長164cm、体重62kg。


人物
小柄な体から繰り出される多彩な技や、抜群の切れ、スピード、天性の守りのカンが天才的と称される一方、練習嫌いを公言。練習は週4日、コーラが大好きで減量は二度風呂で済み、対戦相手を研究せずに試合直前まで寝る、という目に見えて努力しない姿勢と、試合前後の誰も寄せつけない集中ぶりのギャップから天才肌だと言われている。その他、小柄さから「小さな巨人」、得意技が背負投であることから「平成の三四郎」との異名もある。

男子柔道60kg以下級の選手として、アトランタオリンピックで優勝。シドニーオリンピックにて柔道軽量級で初の2連覇。アテネオリンピックにおいて柔道史上初、全競技通してはアジア初、となる3連覇を達成。

近代オリンピック史上4人しかいないオリンピック個人種目4連覇を目指すも、2008年4月の全日本選抜体重別選手権準決勝で浅野大輔に敗戦し北京オリンピック代表を逃す(代表に選ばれたのは平岡拓晃)。

2009年5月、ロンドンオリンピック出場を目指して現役続行を表明した。

年譜
1974年12月10日、奈良県北葛城郡広陵町に生まれる。祖父は地元・奈良で道場を開く柔道師範、父はロサンゼルスオリンピック金メダリストの細川伸二ら名選手を育てた天理高校柔道部監督、叔父はミュンヘンオリンピック金メダリストの野村豊和という柔道一家。
1980年、祖父創設の豊徳館野村道場にて柔道を始める。
1987年、天理中学校に入学。最初の試合で女の子に負けてしまい奮起したものの、体重が30kgほどしかなかったこともあり奈良県で16位が最高。
1990年、天理高校に進学。
1992年、奈良県大会で優勝。インターハイでは予選敗退するが、全日本ジュニア体重別選手権で準優勝。
1993年、天理大学体育学部体育学科武道学コースに入学。
1996年4月、全日本選抜柔道体重別選手権で優勝。アトランタオリンピックの選手に選ばれた。
1996年7月、柔道日本代表としてアトランタへ出発。その際に、まだ無名であったため、空港内で他選手を取材していたスポーツ記者に「邪魔だ」と言われて蹴られる(これは後々まで野村の苦労話のネタとなっている)。
1996年7月26日、アトランタオリンピックにて金メダル獲得。日本人としては初めて金メダルを噛むポーズで写真に写った。
1996年、広陵町名誉町民になった。
1997年、1996年度JOCスポーツ賞優秀賞を受賞。
1997年4月、奈良教育大大学院保健体育科に進学。
1997年同月、全日本選抜柔道体重別選手権を2連覇。
1997年10月12日、世界柔道選手権で優勝。
1998年4月、全日本選抜柔道体重別選手権を3連覇。
1999年 1月9日、嘉納治五郎杯準決勝で左膝靱帯を損傷し、敗退。この怪我と修士論文執筆のため、半年ほど柔道を離れる。
1999年春、ミキハウスに入社。
2000年4月2日、全日本選抜柔道体重別選手権で2年ぶり4度目の優勝。シドニーオリンピックの代表になった。
2000年9月16日、シドニーオリンピックにて2連覇達成。柔道軽量級で史上初の快挙。
2000年10月13日、緊急叙勲として銀杯一組(菊紋)を受賞。
2001年、2000年度JOCスポーツ賞特別栄誉賞を受賞。
2001年5月、元モデルの酒井葉子と結婚。
2001年夏、サンフランシスコへ語学留学。
2002年、講道館杯にて復帰するも敗退。
2003年4月、全日本選抜柔道体重別選手権で3年ぶり5度目の優勝。世界柔道選手権の代表になった。
2003年9月14日、世界柔道選手権で銅メダル。
2004年4月4日、全日本選抜柔道体重別選手権を2連覇。通算6度目の優勝。アテネオリンピックの代表になった。
2004年8月14日、アテネオリンピックにて3連覇達成。柔道史上初、全競技通してはアジア初の偉業。日本の夏季オリンピック金メダル100個目の節目ともなった。
2004年8月、奈良県知事表彰・奈良県議会表彰をダブル受賞。
2004年9月1日、文部科学大臣顕彰・特別表彰を授与。
2004年9月3日、大阪府知事賞詞、大阪スポーツ大賞を受賞。
2004年9月13日、天理市から初の市民栄誉賞を授与。
2004年11月3日、紫綬褒章を受章。
2004年11月30日、ベストドレッサー賞スポーツ部門を受賞。
2004年12月7日、毎日スポーツ人賞国際賞を受賞。
2004年12月22日、第54回日本スポーツ賞大賞を受賞。
2005年1月14日、テレビ朝日ビッグスポーツ賞、全日本実業柔道連盟功労賞を受賞。
2005年1月20日、朝日新聞朝日スポーツ賞を受賞。
2005年1月24日、関西運動記者クラブ関西スポーツ賞を受賞。
2005年1月27日、読売新聞読売スポーツ賞を受賞。
2005年2月4日、日本記者クラブホワイトベア・スポーツ賞を受賞。
2005年3月9日、スポーツ界のアカデミー賞を目指して設立されたローレウス世界スポーツ賞の世界カムバック賞にノミネート(受賞者はアレッサンドロ・ザナルディ)。
2005年4月3日、奈良県広陵町竹取公園に記念碑「金メダルの塔」が完成。また、馬見中4丁目から町役場までの町道が、野村忠宏が中学時代までランニングしていたことにちなみ、金メダルロードと名付けられた。
2005年4月16日、日本のナイス・カップル大賞を受賞。
2006年1月10日、アテネオリンピック以降試合に出場せず去就が注目される中、現役続行して北京オリンピックでの金メダルを目指すことを宣言した。
2006年3月30日、第一子となる長男が誕生。
2007年5月、右ひざの靱帯を断裂。
2008年4月、全日本選抜柔道体重別選手権準決勝で敗れ、北京オリンピック柔道日本代表候補から落選。また、同志社大学スポーツ健康科学部アドバイザーに就任。右ひざを手術。
2008年9月、同志社大学スポーツ健康科学部客員教授に就任(〜2009年3月)。
2009年4月、弘前大学大学院医学研究科博士課程入学。
2009年5月、ロンドンオリンピック出場を目指して現役続行を表明。

エピソード
オリンピックで金メダルを3度獲得しているが、3度とも翌日の有名スポーツ新聞の1面に載らず、谷亮子(田村亮子)が全て1面を飾っている。これはオリンピックで野村の男子60kg級と谷の女子48kg級が同じ日に行われるため、マスコミの注目度の高い谷の試合結果が優先的に記事にされてしまうからである(つまり谷は金メダルを逃しても先んじて記事にされてしまうということである)。野村曰く、アトランタオリンピックを取材したスポーツ新聞の記事に『田村亮子、まさかの銀メダル! 野村忠宏、まさかの金メダル』と書かれた、と自虐的に語っている(テレビ番組『さんまのまんま』での発言より)。

戦績
1994年 - 全日本学生体重別選手権優勝
1995年 - ドイツ国際優勝
1995年 - 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会3位
1996年 - ハンガリー国際2位
1996年 - チェコ国際優勝
1996年 - 全日本選抜柔道体重別選手権優勝
1996年 - アトランタオリンピック優勝
決勝:vsジォビナッツォ(背負投4分33秒)
準決勝:vsナルマンダ(内股3分6秒)
4回戦:vsメリジャ(背負投4分21秒)
3回戦:vsオジョギン(優勢)
2回戦:vsギチエレス(大外刈38秒)
1997年 - ロシア国際優勝
1997年 - 嘉納治五郎杯優勝
1997年 - 全日本選抜柔道体重別選手権優勝
1997年 - パリ世界柔道選手権優勝
決勝:vsレワジシビリ(背負投)
準決勝:vsテーマン(背負投)
4回戦:vsドマ(優勢)
3回戦:vsソルタノフ(内股)
2回戦:vsポウロ(背負投)
1998年 - 全日本選抜柔道体重別選手権2位、嘉納治五郎杯3位
1999年 - 講道館杯優勝
2000年 - フランス国際優勝
2000年 - 全日本選抜柔道体重別選手権優勝
2000年 - シドニーオリンピック優勝
決勝:vs鄭富競(隅落14秒)
準決勝:vsポウロ(優勢)
4回戦:vsマツゼフ(大外刈31秒)
3回戦:vsグレコウスキー(肩車2分15秒)
2回戦:vs賣運兵(背負投1分38秒
「全部違う技で勝つ」と宣言し、実行した。
2002年 - 講道館杯5位
2003年 - ポーランド国際5位
2003年 - 全日本選抜柔道体重別選手権優勝
2003年 - 大阪世界柔道選手権3位
2004年 - フランス国際優勝
2004年 - 全日本選抜柔道体重別選手権優勝
2004年 - アテネオリンピック優勝
決勝:vsヘルギアニ(優勢)
準決勝:vsツァガンバータル(大内刈23秒)
4回戦:vsアルバルシン(内股すかし14秒)
3回戦:vsグッセンベルク(背負投53秒)
2回戦:vsララ(背負投2分46秒)
2006年 - チェコ国際優勝
2007年 - 全日本選抜柔道体重別選手権優勝
2008年 - ドイツ国際2位




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