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前田忠節
前田 忠節(まえだ ただとき、1977年10月4日 - )阪神タイガースに所属したプロ野球選手(内野手)。
経歴
PL学園時代は投手として夏の甲子園に出場し、ベスト8。その後東洋大学を経て、1999年に大阪近鉄バファローズにドラフト3位指名され入団。巧守の内野手として、2004年までに405試合に出場。特に試合後半の守備固めとして二塁や遊撃を守ることが多く、その回数は後に楽天で正二塁手となる高須洋介の守備機会より遥かに多かった。
2005年、選手分配ドラフトにより東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。シーズン中(交流戦期間中)、沖原佳典とのトレードで阪神タイガースへ移籍(楽天から移籍退団した初めての選手となる)。背番号は近鉄時代の32の3+2の語呂合わせの「5」だった(当時『32』は久慈照嘉が付けていた)が、2006年に濱中治が5を付ける事になり再び「32」に戻し、2009年からは「55」へと変更される。
阪神に入団後は遊撃手の鳥谷敬が不動であること、二塁手にも平野恵一や藤本敦士がいること、更に代走や守備固めとしても秀太がいることもあり、出番は少ないが、PL高・東洋大共通の先輩であり、守備をあまり得意としない今岡誠にアドバイスを送っていることが報じられている。2008年8月7日の広島東洋カープ戦では関本の故障もあり、移籍後初のスタメン出場を果たした。
守備には定評があるが通算で打率1割台という非力な打撃が原因で、何度もレギュラー獲得の好機があったにもかかわらず逃している。
2009年10月2日、阪神球団から戦力外通告を受けた。シーズン終了後、12球団合同トライアウトに参加。
背番号
32 (2000年 - 2005年途中、2006年 - 2008年)
5 (2005年途中 - 同年終了迄)
55 (2009年)
個人記録
初出場・初打席:2000年4月1日、オリックス戦(神戸) 9番遊撃で先発/3回小林の前に凡打
初安打:2000年4月2日、オリックス戦(神戸) 金田から単打
初打点:2000年5月13日、日本ハム戦(東京D) 9回立石から内野ゴロの間
初打点:2001年5月28日、日本ハム戦(東京D) 2回下柳からソロ
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