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ランドール・デビッド”ランディ”・ジョンソン

ランドール・デビッド”ランディ”・ジョンソン(Randall David "Randy" Johnson, 1963年9月10日 - )は、元野球選手(投手)。

1990年代から2000年代のメジャーリーグを代表する左腕投手であり、ビッグユニットの異名を持つ。

目次 [非表示]
1 経歴
1.1 モントリオール・エクスポズ
1.2 シアトル・マリナーズ(1989年 - 1998年)
1.3 アストロズへ移籍(1998年)
1.4 アリゾナ・ダイヤモンドバックス(1999年 - 2004年)
1.5 ニューヨーク・ヤンキース(2005年 - 2006年)
1.6 ダイヤモンドバックス復帰(2007年 - 2008年)
1.7 サンフランシスコ・ジャイアンツ(2009年 - 現在)
2 投球スタイル
3 獲得タイトル・記録
4 年度別投手成績
5 脚注
6 外部リンク


経歴 [編集]
6歳のときに野球を始め、それ以来野球が一番好きなスポーツとなった[2]。1982年、ドラフト4巡目でアトランタ・ブレーブスから指名されたが、契約せずに南カリフォルニア大学へと進学。

モントリオール・エクスポズ [編集]
1985年、ドラフト2巡目でモントリオール・エクスポズに指名される。1988年にはマイナーリーグのインディーでパット・パシロとの継投でノーヒッターを達成するも、チームは敗退する珍記録を残す(7回を投げて被安打は0であったが、1回に四球で出したランナーに2つの盗塁を許し、次の打者の内野ゴロの際に失点)[3]。同年有力誌ベースボールアメリカの選ぶ期待の若手第3位に選出され[3]、マイナーリーグのシーズン終了後に当る9月15日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーリーグデビュー。同月20日のシカゴ・カブス戦で11の奪三振を奪ってメジャー初完封を記録し、3勝0敗、防御率2.42でシーズンを終えた。

翌1989年はコントロールに苦しみ、7試合に登板し(内先発6試合)勝利なしの4敗で防御率は6.67と低迷[4]。5月9日にマイナー落ちを宣告され、5月25日にジーン・ハリスとブライアン・ホルマンと共にシアトル・マリナーズのマーク・ラングストンとマイク・キャンベルの3対2の交換トレードで放出された[4]。

シアトル・マリナーズ(1989年 - 1998年) [編集]
マリナーズ移籍後初登板となった5月30日のニューヨーク・ヤンキース戦で、6回を投げて被安打6、自責点2で3-2の勝利に貢献している[4]。

移籍後もコントロールに苦しみ、1990年から3年連続でリーグ最多で100四死球以上を記録し続けたものの、先発として起用され続け、1990年は14勝11敗、防御率3.65を記録した。6月2日のタイガース戦で球団史上初のノーヒットノーランを達成した[5]。6月は5勝0敗・防御率2.40の好成績でピッチャー・オブ・ザ・マンスを初受賞[5]。オールスターまでに9勝3敗・防御率3.68の成績を残し[5]、登板機会がなかったがオールスターに選出された。オフには日米野球でメジャーリーグ選抜として来日した。

1991年は228奪三振(リーグ2位)と奪三振が200の大台を超え、1992年に241奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。9月27日のレンジャーズ戦では18奪三振を記録し、ロン・ギドリーの左投手としてのリーグ記録に並んだ[6]。そして、9月16日から27日にかけて3試合で45奪三振は史上2位となった[6]。

1992年にノーラン・ライアンと、当時テキサス・レンジャーズ投手コーチでライアンと2人3脚でトレーニング方法を開発したトム・ハウスの2人と出会い、メンタルトレーニングの指導を受けて制球難を改善させ[7]、翌1993年に19勝8敗、防御率3.24、1987年にマーク・ラングストンが記録した球団記録の262奪三振を更新するリーグ最多となる308奪三振を記録[8]、3年連続でリーグ最多だった四死球も2桁(99)でおさまった。5月16日には8回まで無安打投球も9回にヒットを打たれノーヒットノーランを逃した[9]。サイ・ヤング賞の投票ではジャック・マクダウエルに次ぐ2位におわった[10]。

ストライキにより短縮された1994年は開幕戦の4月4日に当時の大統領ビル・クリントンを始球式に迎えた最初の登板で8回のサンディー・アロマー・ジュニアまでノーヒットノーランを続ける[11]など出だしから好調で、5月15日から6月20日にかけて3連続完封を含む7連勝[11]。7月7日には通算75勝目を挙げ、マーク・ラングストンを抜き球団新記録となった[11]。シーズン成績は防御率3.19、リーグトップの204の三振を奪い、サイ・ヤング賞候補の3位に選ばれた。

1995年は18勝2敗で歴代7位勝率.900[12]、防御率2.48、294奪三振で自身初、球団史上初のサイ・ヤング賞を受賞。チームは球団史上初めてポストシーズンへコマを進めた。

1996年は椎間板ヘルニアの故障のために5勝に留まるが、1997年は復活を果たした[2]。6月24日と8月8日には1試合19奪三振を記録し、自身の持つ左腕のリーグ記録を更新した[13]。9月27日のシーズン最後のアスレチックス戦の登板で通算2000奪三振を達成し、20勝目を挙げ、球団史上初の20勝投手となった[13]。サイ・ヤング賞の投票ではロジャー・クレメンスが勝数、防御率、奪三振の3部門でジョンソンを上回る成績を残し受賞。ジョンソンはクレメンスに次ぐ2位に終わった[14]。 

アストロズへ移籍(1998年) [編集]
1998年は不調で7月までに9勝10敗、防御率4.33だった。7月31日にマリナーズは、フレディ・ガルシア、カルロス・ギーエン、それに後に発表されたジョン・ハラマの3名と交換でジョンソンをプレイオフを争っているヒューストン・アストロズにトレードした。シーズンの3分の1しかナショナルリーグで登板していないのにもかかわらず、11回の先発で7試合で2桁の奪三振[15]、10勝1敗、防御率1.28を記録し、4完封はグレッグ・マダックスの5完封に次ぐ2位。アストロズのプレイオフ進出の原動力となった。この年のサイ・ヤング賞の得票数で7位となった。シーズントータルの成績は329奪三振で自己最高を更新し、20試合で2桁奪三振を記録している。

アリゾナ・ダイヤモンドバックス(1999年 - 2004年) [編集]
ジョンソンは、オフシーズンに球団設立2年目のアリゾナ・ダイヤモンドバックスと4年間5,300万ドルの契約を交わした。1999年シーズンを17勝9敗、防御率2.48で終え、364奪三振で、2桁奪三振の試合は23でサンディー・コーファックスの21(1965年)を上回るリーグ新記録、ノーラン・ライアンに並ぶメジャー記録となった[16]。チームをプレイオフに導き、2度目のサイ・ヤング賞を受賞。

2000年7月にダイヤモンドバックスはフィラデルフィア・フィリーズから右腕のカート・シリングを獲得している。9月10日に史上12人目となる3000奪三振を達成。

2001年シーズン開幕前の3月24日、サンフランシスコ・ジャイアンツとのオープン戦の7回に、ジョンソンの投じた投球が偶然飛んできた鳩を直撃するというハプニングが起きた。投球はノーカウントになったが、そのシーンが全米に流され、ジョンソンが後日動物愛護団体から訴えられるといった事件も起きた(野球のボールが鳥と衝突する事件としては、1983年に、当時ニューヨーク・ヤンキースに在籍していたデーブ・ウィンフィールドが、ウォームアップ中にボールを鳥にぶつけてしまった事件が知られている)。

開幕後の5月8日、ジョンソンは大リーグ史上4人目となる1試合(9回)20奪三振を達成し、メジャータイ記録となる23試合で2桁奪三振[17]。ペドロ・マルティネスの13.2(1999年)を上回る奪三振率13.41というメジャー記録を樹立する[17]。またシリングの293と併せて同一チームの2投手合計奪三振は665で、カリフォルニア・エンゼルスのノーラン・ライアンとビル・シンガーが1973年に記録した624を上回るメジャーリーグ記録となった[17]。

2人合わせて43勝を稼ぎ、チームをワールドシリーズに導く。シリーズではニューヨーク・ヤンキースを4勝3敗で下し、設立5年目のチームに優勝をもたらした。ワールドシリーズMVPはジョンソン、シリング共同で受賞し、スポーツ・イラストレイテッド誌の2001年を代表するスポーツ選手に選ばれ、表紙を飾っている。

2002年は24勝、防御率2.32、334奪三振で1985年のドワイト・グッデン以来となる投手3冠を達成。またシリングと2人揃ってシーズン300奪三振を達成し、47勝を挙げるもののチームはプレイオフで敗退。2003年は再び故障に苦しみ、先発機会も大幅に限られた。9月19日の対ミルウォーキー・ブルワーズにメジャー初本塁打を記録した[18]。

40歳を迎えた2004年、ジョンソンは復活し、この年は3つの記録を作ることとなる。同年5月18日に対アトランタ・ブレーブス戦で13個の三振を奪い、2対0でメジャーリーグで17人目となる完全試合を達成している。6月29日の対サンディエゴ・パドレス戦でジェフ・シリーロから三振を奪い、史上4人目となる通算4000奪三振を記録した。9月14日に通算4137奪三振を記録し、当時メジャーリーグ史上通算奪三振数3位となり、左投げとしては通算奪三振数1位となった。2004年は16勝14敗、防御率2.60、290個の奪三振を記録した。得点の援護に恵まれなかったが、制球を向上させ投球内容は20勝を挙げた2001年や2002年よりも良かった[19]。ナショナルリーグのサイ・ヤング賞は、ロジャー・クレメンスとの一騎打ちであり、勝ち星以外の全ての項目で上回ったにもかかわらず、2位となり受賞を逃している。

7月にヤンキース、エンゼルス、レッドソックスなど数球団と移籍交渉をしたが、実現せずに終わった[20]。シーズン終了後の12月にニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・ドジャース、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの3チーム10選手の間で三角トレードが計画されたが、ドジャースが締結寸前でポール・デポデスタGMはメリットが少ないからとトレードから撤退し、トレードは解消された[20]。

ニューヨーク・ヤンキース(2005年 - 2006年) [編集]

2006年2005年1月、ニューヨーク・ヤンキースはワールドチャンピオン奪回の切り札として新しいオファーをダイヤモンドバックスに出し[21]、ジョンソンは、ハビアー・バスケス、ブラッド・ハルシー、ディオナー・ナバーロの3選手に加え900万ドルの資金とトレードされた。ヤンキースはジョンソンと2006年から2年間3,200万ドルの契約延長をした[20]。

移籍1年目の2005年、ヤンキースの正捕手ホルヘ・ポサダと合わずジョン・フラハティとバッテリーを組むことが多かった。ポサダのときは5勝6敗に対し、フラハティのときは12勝2敗[22]。17勝8敗、防御率3.79、リーグ2位の211奪三振、対ボストン・レッドソックスで5勝0敗[23]の成績でシーズンを終えた。

フラハティはレッドソックスへ移籍。2006年、1996年に患った背中の同じ箇所を痛め、17勝を上げるものの、防御率5.00と不本意な成績であった。10月にはヤンキースはジョンソンの手術を発表。2007年は春季キャンプの参加こそ遅れ、年齢によるものから保証はできないものの、おそらくシーズン自体には影響はないとしている[24]。

ダイヤモンドバックス復帰(2007年 - 2008年) [編集]

ダイヤモンドバックス時代のジョンソンファンやメディアに辟易し、自らトレードを志願[21]。セットアッパーのルイス・ビスカイーノ、マイナーリーガーのロス・オーレンドフとスティーブン・ジャクソン、アルベルト・ゴンザレスとの交換トレードで、2007年シーズンから古巣のアリゾナ・ダイヤモンドバックスに復帰した。

6月5日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では8三振を奪い、通算4605奪三振となってロジャー・クレメンスを抜いて史上単独2位(1位はノーラン・ライアンの5714奪三振)となった。しかし、6月9日にはクレメンスがヤンキースに復帰し、7三振を奪って通算4611奪三振となったため一時3位となった。6月10日にはジョンソンがボストン・レッドソックス戦で9三振を奪い、4614として再び2位となった。椎間板ヘルニアが再発したためジョンソンは手術を受けることになり、6月28日のロサンゼルス・ドジャース戦を最後に2007年シーズンは休養することになった。クレメンスが4672奪三振、ジョンソンが4616奪三振でシーズンを終えた。

2008年シーズンは4月15日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦に復帰登板。その後は大きな故障もなくシーズンを投げぬき、11勝を挙げた。6月3日のブルワーズ戦でクレメンスの4672奪三振を抜き単独2位に[25]。45歳となって迎えたシーズン本拠地最終戦の対ロッキーズ戦では被安打2、失点1(自責点0)で完投。

サンフランシスコ・ジャイアンツ(2009年 - 現在) [編集]
2008年オフにFAとなったジョンソンは、12月26日、サンフランシスコ・ジャイアンツと1年800万ドルで契約[26]。なお、ジャイアンツにはティム・リンスカムとバリー・ジトという2人のサイ・ヤング賞投手が既に在籍しており、同じく同賞受賞歴のあるジョンソンの加入により、2002年のアトランタ・ブレーブス(グレッグ・マダックス、トム・グラビン、ジョン・スモルツ)以来の同一チームに3人のサイ・ヤング賞投手が同時に在籍することになった[26]。

6月4日のワシントン・ナショナルズ戦を6回1失点に抑え、MLB史上24人目、歴代22位タイとなる300勝を達成した[27]。300勝初挑戦で到達したのは、1985年のトム・シーバー以来。45歳での300勝達成は、1985年に46歳で達成したフィル・ニークロに次ぐ2番目の高齢記録となった。また全30球団から白星を奪った唯一の300勝投手でもある。

2009年シーズンには通算勝利数を303にまで延ばし、2010年1月5日、現役引退を表明[28]。

投球スタイル [編集]
この記事の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。このタグは2008年5月に貼り付けられました。

メジャーリーグでも稀な2m8cmの長身から、160km/h超のストレート(フォーシーム)と2種類のスライダー、スプリッターを投げ分ける。身長がある分だけ腕も長く、しかもサイドスローに近いスリー・クォーターであることに加えて、横に変化する高速スライダーを投げるため、左打者にとっては背中越しにボールが現れる上に至近距離まで球筋が見きわめられず、非常に打ちづらい事で知られる。

特に若い頃に与四球が多く、荒れ球の印象があるが、徐々に克服し、2007年終了時点で、奪三振 (4,616) と与四球 (1,422) の比率(奪三振÷与四球)は3.25である。これを歴代の奪三振上位の投手と比較すると、カート・シリング (4.38) 、ペドロ・マルティネス (4.28) 、グレッグ・マダックス (3.38) らにはかなわないものも、ノーラン・ライアン (2.04) 、クレメンス (2.96) 、スティーブ・カールトン (2.25) 、トム・シーバー (2.62) 、ボブ・ギブソン (2.33) 、ドン・ドライスデール (2.91) 、サンディー・コーファックス (2.93) らを上回る。ただし、1992年まではこの比率は1.58であった。※現役選手については2007年終了時点での成績。

慈善事業にシアトル・マリナーズ在籍時から積極的に関わっており、現在もStrikeout Homelessnessプログラムにて1勝を挙げる毎に$1,000、奪三振1つ毎に$100を寄付している[29]。

獲得タイトル・記録 [編集]
アメリカンリーグ・サイ・ヤング賞 1回:1995年
ナショナルリーグ・サイ・ヤング賞 4回:1999年 - 2002年
ワールドシリーズMVP 1回:2001年
最優秀防御率 4回:1995年(2.48)、1999年(2.48)、2001年(2.49)、2002年(2.32)
最多勝利 1回:2002年(24勝)
最多奪三振 9回:1992年(241個)、1993年(308)、1994年(204)、1995年(294)、1999年(364)、2000年(347)、2001年(372)、2002年(334)、2004年(290)
MLBオールスターゲーム選出 10回:1990年、1993年 - 1995年、1997年、1999年 - 2002年、2004年
無安打無得点試合 1回:1990年6月2日(2-0、デトロイト・タイガース戦)
完全試合 1回:2004年5月18日(2-0、アトランタ・ブレーブス戦)
通算与死球数:190(2009年終了時点。歴代3位。)
年度別投手成績 [編集]

度 球
団 登
板 先
発 完
投 完
封 無

球 勝
利 敗
戦 セ

ブ ホ


ド 勝
率 打
者 投

回 被

打 被


打 与

球 敬
遠 与

球 奪

振 暴
投 ボ

ク 失
点 自

点 防

率 W
H
I
P
1988 MON 4 4 1 0 1 3 0 0 -- 1.000 109 26.0 23 3 7 0 0 25 3 0 8 7 2.42 1.15
1989 7 6 0 0 0 0 4 0 -- .000 143 29.2 29 2 26 1 0 26 2 2 25 22 6.67 1.85
SEA 22 22 2 0 0 7 9 0 -- .438 572 131.0 118 11 70 1 3 104 5 5 75 64 4.40 1.44
'89計 29 28 2 0 0 7 13 0 -- .350 715 160.2 147 13 96 2 3 130 7 7 100 86 4.82 1.51
1990 33 33 5 2 0 14 11 0 -- .560 944 219.2 174 26 120 2 5 194 4 2 103 89 3.65 1.34
1991 33 33 2 1 0 13 10 0 -- .565 889 201.1 151 15 152 0 12 228 12 2 96 89 3.98 1.50
1992 31 31 6 2 0 12 14 0 -- .462 922 210.1 154 13 144 1 18 241 13 1 104 88 3.77 1.42
1993 35 34 10 3 0 19 8 1 -- .704 1043 255.1 185 22 99 1 16 308 8 2 97 92 3.24 1.11
1994 23 23 9 4 0 13 6 0 -- .684 694 172.0 132 14 72 2 6 204 5 0 65 61 3.19 1.19
1995 30 30 6 3 1 18 2 0 -- .900 866 214.1 159 12 65 1 6 294 5 2 65 59 2.48 1.05
1996 14 8 0 0 0 5 0 1 -- 1.000 256 61.1 48 8 25 0 2 85 3 1 27 25 3.67 1.19
1997 30 29 5 2 1 20 4 0 -- .833 850 213.0 147 20 77 2 10 291 4 0 60 54 2.28 1.05
1998 23 23 6 2 1 9 10 0 -- .474 685 160.0 146 19 60 0 11 213 7 2 90 77 4.33 1.29
HOU 11 11 4 4 1 10 1 0 -- .909 329 84.1 57 4 26 1 3 116 0 0 12 12 1.28 0.98
'98計 34 34 10 6 2 19 11 0 -- .633 1014 244.1 203 23 86 1 14 329 7 2 102 89 3.28 1.18
1999 ARI 35 35 12 2 3 17 9 0 0 .654 1079 271.2 207 30 70 3 9 364 4 2 86 75 2.48 1.02
2000 35 35 8 3 4 19 7 0 0 .731 1001 248.2 202 23 76 1 6 347 5 2 89 73 2.64 1.12
2001 35 34 3 2 1 21 6 0 0 .778 994 249.2 181 19 71 2 18 372 8 1 74 69 2.49 1.01
2002 35 35 8 4 0 24 5 0 0 .828 1035 260.0 197 26 71 1 13 334 3 2 78 67 2.32 1.03
2003 18 18 1 1 0 6 8 0 0 .429 489 114.0 125 16 27 3 8 125 1 1 61 54 4.26 1.33
2004 35 35 4 2 3 16 14 0 0 .533 964 245.2 177 18 44 1 10 290 3 1 88 71 2.60 0.90
2005 NYY 34 34 4 0 2 17 8 0 0 .680 920 225.2 207 32 47 2 12 211 3 1 102 95 3.79 1.13
2006 33 33 2 0 1 17 11 0 0 .607 860 205.0 194 28 60 1 10 172 3 2 125 114 5.00 1.24
2007 ARI 10 10 0 0 0 4 3 0 0 .571 233 56.2 52 7 13 3 4 72 1 0 26 24 3.81 1.15
2008 30 30 2 0 0 11 10 0 0 .524 778 184.0 184 24 44 6 6 173 2 1 92 80 3.91 1.24
2009 SF 22 17 0 0 0 8 6 0 0 .571 412 96.0 97 19 31 2 2 86 5 1 55 52 4.88 1.33
通算:22年 618 603 100 37 19 303 166 2 0 .646 17067 4135.1 3346 411 1497 37 190 4875 109 33 1703 1513 3.29 1.17

2009年度シーズン終了時
各年度の太字はリーグ最高
脚注 [編集]
^ "San Francisco Giants Salaries - 2009" (英語). ESPN.com. 2009年7月19日 閲覧。
^ a b 鉄矢多美子 「豪腕復活インタビュー ランディー・ジョンソン [マリナーズ]」『月刊メジャー・リーグ』 1997年9月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-9、3 - 8頁。
^ a b "Randy Johnson 1988 Career Highlights" (英語). 2008年5月10日 閲覧。
^ a b c "Randy Johnson 1989 Career Highlights" (英語). 2008年5月10日 閲覧。
^ a b c "Randy Johnson 1990 Career Highlights" (英語). 2008年5月10日 閲覧。
^ a b "Randy Johnson 1992 Career Highlights" (英語). 2008年5月10日 閲覧。
^ 上田龍 (2009年6月5日). "ランディ・ジョンソン、300勝への軌跡 左腕史上6人目の偉業達成". スポーツナビ. 2009年6月6日 閲覧。
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^ Randy Johnson 1998 Pitching Gamelogs -Baseball-Reference PI 2008年1月11日閲覧.
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^ “ランディ・ジョンソン投手、引退を表明”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010-01-06). http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/news/20100106-OYT1T00244.htm 2010-01-06 閲覧。
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