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下山真二

下山 真二(しもやま しんじ、1975年12月1日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。

目次 [非表示]
1 プレイスタイル
2 来歴
2.1 プロ入り前
2.2 プロ入り後
3 人物
4 詳細情報
4.1 年度別打撃成績
4.2 個人記録
4.3 背番号
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク


プレイスタイル [編集]
パンチ力を備えた打撃と堅実な守備が持ち味。目立つほどの俊足ではないが出塁率が高く、左投手に強いことから相手先発投手が左の場合は1番打者として起用されることも多い。

北川博敏らと共にベンチを盛り上げるムードメーカー的存在でもある。

来歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
兵庫県加東郡社町(現・加東市)出身。3歳上の兄の影響で小学生時に「社ベアーズ」で野球を始めた。当初は肩の強さから投手を任されたが、高学年になると誰もその球を受けられず仕方なく捕手を務めた。加東市立社中学校では陸上部の助っ人をこなしたりバレー部から誘われるなどスポーツ万能で鳴らし、遊撃手兼外野手として思い切りの良い打撃で活躍した。高校進学時は関西の強豪校へ進む道もあったが、「自分は田舎者」と地元の兵庫県立社高等学校へ進学して入学直後の1年春から4番中堅手に抜擢された。高校時代の最高成績は2年時の県大会3位で、主将として迎えた3年夏は清水直行を擁する報徳学園高校に負けて終えた[1]。

大学は地元に近いという理由で立命館大学に進学したが、2年の秋に父が他界。遺言は「野球を頑張れ」だったそうで、一層野球に打ち込んだ。3年春に首位打者、4年時には主将となり秋にはシーズン5本塁打を記録。しかしドラフトにはかからず、社会人野球の日本生命へ進んだ[1]。

日本生命では社会人野球日本選手権大会で2度優秀選手賞を受賞し、同大会で優勝した2002年秋のプロ野球ドラフト会議で大阪近鉄バファローズから8巡目指名を受け入団。既に27歳でアマチュア歴が長い上に下位指名だったことから、給料は下がったという。

プロ入り後 [編集]
2003年オープン戦の読売ジャイアンツ戦で2本塁打を放ち、[1]夏頃から長打力を発揮して少ない打数ながら打率.302を記録して即戦力となった。

2004年はタフィ・ローズが抜けて外野の定位置を確保するチャンスを迎えたが前半戦で大きく出遅れ、後半巻き返したものの大西宏明の台頭で定位置獲得はならなかった。なお、打率が1割に満たない時期に代打満塁本塁打を西武ライオンズ戦で岡本篤志から放っている。

2005年は球団合併による選手分配ドラフトでオリックスに移籍したが、打率はさらに落ちて.250を下回り、主に代走や守備固めでの出場に終わった。ベンチではポリープができるほど声出しに専念し、契約更改ではその点が評価されて年俸アップを勝ち取った。

2006年は、前半戦を殆ど二軍で過ごしたが、夏場以降一軍に定着。打率は3割を狙えるまでに上昇したものの、結局出場機会は減少した。

2007年は3月31日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でサイクルヒットにリーチをかけたが、二塁打を打てず達成はならなかった。この試合では最も出にくいとされる三塁打を2本打っており、達成のチャンスはあった。また、同年唯一三塁打を打った試合でもある。8月8日の千葉ロッテマリーンズ戦では、薮田安彦からプロ初のサヨナラ打となるタイムリー二塁打を放った。前半戦は絶好調で右翼手のレギュラーとして活躍したが夏場以降に大失速し、9月以降1安打しか打てず最終的には打率を大幅に落とした。しかし自己最多の111試合に出場して79安打を記録するなど、実りの多いシーズンになった。打率.313、6本塁打と左投手を得意とした。

2008年は濱中治の加入や、迎祐一郎がオープン戦で結果を残した事で外野手の定位置争いが更に激化したが、勝負強い打撃で主に右翼手としてレギュラーとなった。7月2日の福岡ソフトバンクホークス戦では5点差を終盤で追いつかれたが、10回裏に柳瀬明宏からサヨナラ打を放った。同年は様々な打順で出場したが、左投手先発時は1番、終盤は主に2番として出場した。左投手からは打率.282、6本塁打をマーク。最終的には前年の自己最多を更新する123試合に出場し、初の2桁本塁打となる10本塁打を記録した。

2009年は前年度の活躍からレギュラーは不動のものと思われたが、オフに大村直之が移籍してきたことによりまたしても激しい競争に晒され、開幕1軍入りするもスタメンの座は逃してしまう。その後、徐々にスタメンに名を連ねるペースは増加していったが、5月30日に右肩腱板炎で登録抹消。実は1月の自主トレのキャッチボールの際にすでに痛めており、痛みをこらえながらプレーしてきた。復帰後も完治することなく肩痛に耐えながらプレーし、8月3日に再び抹消するなど苦しいシーズンとなった。最終的に成績は99試合出場、打率.256と前年度よりも下回ってしまった。しかし、出場100試合未満ながら前年度を上回る47打点、日本人野手ではチーム唯一となる二桁本塁打13本を2年連続達成、チームトップの勝利打点8と持ち前のパンチ力と勝負強さは光り、怪我が惜しまれるシーズンとなった。

人物 [編集]
毎日ブログを更新するなどファンサービスに熱心な性格で、オリックスの選手が開設しているブログの中で1,2の人気を誇る。またブログ内では自らをシモヤマンと称していて、他の選手にも名称の後にマンをつけ、○○マンとのように呼ぶ。

詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]

度 球
団 試
合 打
席 打
数 得
点 安
打 二

打 三

打 本

打 塁
打 打
点 盗
塁 盗

死 犠
打 犠
飛 四
球 敬
遠 死
球 三
振 併

打 打
率 出

率 長

率 O
P
S
2003 近鉄 35 72 63 11 19 7 0 3 35 9 2 1 1 0 6 0 2 22 0 .302 .380 .556 .936
2004 43 106 92 18 26 6 1 3 43 16 4 1 3 0 11 0 0 22 3 .283 .359 .467 .827
2005 オリックス 58 81 74 9 17 5 0 4 34 10 0 0 0 1 5 0 1 27 3 .230 .284 .459 .743
2006 42 88 78 9 22 5 0 4 39 9 0 1 1 1 8 0 0 24 1 .282 .345 .500 .845
2007 111 365 324 28 79 12 2 7 116 24 0 3 13 0 26 0 2 79 11 .244 .304 .358 .662
2008 123 416 356 64 96 24 3 10 156 44 3 3 15 3 40 1 2 73 2 .270 .344 .438 .782
2009 99 335 285 37 73 17 2 13 133 47 4 2 10 0 37 1 3 76 5 .256 .348 .467 .814
通算:7年 511 1463 1272 176 332 76 8 44 556 159 13 11 43 5 133 2 10 323 25 .261 .335 .437 .772

2009年度シーズン終了時
個人記録 [編集]
初出場:2003年3月30日、対オリックスブルーウェーブ3回戦(大阪ドーム)、9回表に左翼手として出場
初盗塁:2003年5月10日、対オリックスブルーウェーブ7回戦(大阪ドーム)、8回裏に二盗
初安打:2003年6月8日、対西武ライオンズ14回戦(大阪ドーム)、4回裏に三井浩二から
初本塁打・初打点:2003年7月26日、対西武ライオンズ19回戦(大阪ドーム)、4回裏に帆足和幸から
背番号 [編集]
56(2003年)
26(2004年)
36(2005年 - )
脚注 [編集]
[ヘルプ]
^ a b c 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年7月7日号30-31ページ「白球入魂 ドンッと振っていく 下山真二」

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