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福浦和也

福浦 和也(ふくうら かずや、1975年12月14日 - )
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
2001年から2006年まで6年連続で打率3割を記録したアベレージヒッター。
3度ゴールデングラブ賞を獲得したこともあり守備の評価も高い。



来歴・人物
1993年ドラフト7位で投手として入団。しかし半年で3回肩を壊し打者に転向。 入団4年目の1997年に振り子打法を引っさげ一軍デビュー、即座に一塁のレギュラーに定着。 しかしその後は石井浩郎、ボーリック、初芝清などにポジションを譲り外野を守った。

2001年に一塁手に復帰し、才能が開花。7年連続首位打者のイチローがメジャーリーグに渡った最初の年に、小笠原道大(当時日本ハム)との熾烈な争いを制し打率.346で首位打者を獲得した。また18本塁打を放ち、初芝清以来不在だった千葉ロッテの和製大砲としての期待にも応えた。

2002年はタイトルホルダー故の厳しいマークに遭い17死球を受けるも打率3割をマーク。

2003年には全140試合に出場し、打率3割、50二塁打に加え21本塁打も記録。この年には、外国人選手起用の都合上夏場に3年ぶりに外野を守ったが、2試合で元に戻された。またこの年に初めて一塁手でゴールデングラブ賞を獲得。

2004年、韓国で56本塁打を記録した李承が入団したが、この年も打率.314 11HRと安定した実力を見せ一塁のレギュラーを守った。

2005年は故障もありやや低調なシーズンだったが、終盤の追い込みで辛うじて5年連続の打率3割(.29953、四捨五入でピッタリ.300。ちなみに、2002年は.3003でピッタリ.300だった)達成。チャンスでの強さは変わらず、千葉ロッテのプレーオフ進出に大きく貢献した。そのプレーオフでは終始好調を維持し、千葉ロッテの31年ぶりの優勝に貢献した。日本シリーズ第3戦では阪神の桟原将司から満塁本塁打を放った。アジアシリーズでは腰痛のため選手登録はされなかったが、チームはアジアシリーズを制し初代チャンピオンとなる。また、この年にはリーグトップの犠飛(9本)を打っている。

2006年4月、初の月間MVPを受賞。また7月に死球により左手を骨折し、約1ヶ月間の戦線離脱もあったが、6年連続の打率3割を達成。成績は打率.312、4本塁打。腰痛により力強く振り抜くことができなかったため、本塁打が減少した。同年、FA権を取得。

2007年は開幕から故障し、5月までは3割をキープして復帰直後こそ高打率だったものの、怪我の影響で打率を徐々に落とし、打率.258、本塁打4という自己最悪の成績に終わってしまった。前年まで左投手に対して3割近く打っていたが、この年は打率.181に終わった。しかし勝負強さは健在で、得点圏打率は.339。さらに打点は57と前年より多かった。規定打席にはわずか1打席足りず届かなかった。それでも守備では往年の動きが健在で、自身3度目のゴールデングラブ賞を獲得。オフには複数年契約が切れ、メジャー挑戦も視野に入れたFA宣言も噂されたが、宣言せずに残留した。[1]

2008年も怪我をし、前年度の自己最低記録を更新してしまった。復帰後はDHや代打での出場が多くなった。

2009年 シーズン当初はここ数年同様低調で打率は2割前半に沈み、またチャンスに弱く得点圏打率は1割台、長打率も2割台後半まで低くなり打順は主に2番や8番で堀幸一やゲイリー・バーナム・ジュニアと併用されていたが、8月後半から徐々に調子を取り戻し、勝負強さと長打力を取り戻しシーズン終盤には再び3番に定着、3割には届かなかったものの2年ぶりに100安打、3年ぶりに規定打席に到達した。

その他
愛称は「はっちゃく」で本人のブログでも使われている。また「はっちゃく」という地酒も発売されている。
元々右利きだが、幼少時の怪我が原因で左投げに転向した。ちなみに足は左利きである。
ドラフト同期には諸積兼司、大塚明、立川隆史、小野晋吾らがおり層が厚い。福浦は第7回選択希望選手、全球団最終指名でプロ入り。多数指名が解禁された1991年以降のドラフト最終指名者では田畑一也(1991ダイエー10位)らが活躍している。福浦は地元でもあり「ロッテの隠し球」として注目された。ドラフト下位指名はチームスカウトの自由裁量によるところも大きく、それゆえ注目選手目白押しの上位指名よりも各球団スカウトの腕や傾向、場合によってはスタンドプレイが出ることが多いが、地元ブランドの福浦に目を付けたこの年のドラフト戦略は大当たりだったと言える。
トークはあまり得意ではないとのこと。実際、ヒーローインタビューなどの場でも決して無愛想ではないが、口数は多くない。
若い頃から髪が薄く、現在ではスキンヘッドにしている(正確にはうっすら髪が生えていることもある)。ダッグアウトにいる時は、帽子やヘルメットは被っていない。
春先は調子の出ないことも多いが、5~6月に調子を上げ、夏場に調子を落とすケースが多い。しかし秋に入ると再び調子を取り戻す傾向にある。2006年シーズンは3・4月度月間MVPを獲得し6月まで打率ランキング1位だったが、夏場の不振(7月の月間打率は1割台)で最終的にはランキング5位となった。
長身で均整の取れた体型にそぐわず、足はあまり速くない。内野安打は少ないものの、ライナーで外野の間を抜く二塁打を量産する。
ショートバウンドの処理、股関節の柔らかさを生かした一塁守備は日本でトップクラスを誇る。週刊ベースボール3月17日号によると今江敏晃は「福浦さんがいなかったらチームの失策数は倍に増えている」、小坂誠は「自分の守備がうまいと言われているのは福浦がいたおかげ」と語っている。
ボビー・バレンタイン監督の采配は打順が一定しないことで知られるが、福浦はほぼ3番に固定されている。しかし2007年以降は不振から2番や7,8番を打つこともあった。
家族は夫人と一男。なお息子の名前の一部に彼を見出した山本功児前監督にあやかって「功」の字が使われている。
一軍デビュー当時は完全な振り子打法で、「イチローのそっくり選手」と報道されたこともあった。
ここ数年は怪我の影響で本塁打が減少しているが、2005年の日本シリーズや2007年のクライマックスシリーズでは本塁打を放っている。
彼の打席での応援歌は、まず最初に「すばらしきヒコーキ野郎」が原曲のものが充てられ、その後2001年夏限定のマイナーメロディーの応援歌が作られた。現在使われている応援歌はその後にできたもので、トランペットのメロディーと観客席の応援団の歌うメロディーがさながら輪唱のように追っかけの形になっていたり、後半はハモリになっていたりと、今までなかった斬新なアイデアが盛り込まれていた。さらに近年では、彼の出身校である市立習志野高校の応援歌も開幕戦限定で用いられており、同校のブラスバンド部が彼の打席で演奏するようにもなっている。

タイトル・表彰
首位打者:1回(2001年)
ゴールデングラブ賞(内野手部門):3回(2003年、2005年、2007年)

個人記録
初出場・初先発出場:1997年7月5日、対オリックス・ブルーウェーブ14回戦(千葉マリンスタジアム)、7番・一塁手として先発出場
初安打:同上、4回裏にウィリー・フレーザーから
初打点:1997年7月13日、対西武ライオンズ15回戦(札幌市円山球場)、5回裏に石井丈裕から
初本塁打:1997年8月12日、対西武ライオンズ16回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に横田久則から
初盗塁:1998年7月28日、対福岡ダイエーホークス16回戦(北九州市民球場)、2回表に二盗
1000本安打:2004年8月20日、対福岡ダイエーホークス23回戦(千葉マリンスタジアム)、3回裏に斉藤和巳から中前安打
1000試合:2005年5月12日、対阪神タイガース3回戦(千葉マリンスタジアム)(402人目)、3番・一塁手として先発出場
1500本安打:2009年5月2日、対福岡ソフトバンクホークス5回戦(福岡Yahoo! Japanドーム)、8回裏に水田章雄から左中間へ2点適時二塁打

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