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【動画】愛子あと1人メダル逃がす/モーグル
先日はじまったオリンピックのモーグルで上村愛子が惜しくも4位だったそうですね。正直、個人的にはそこまで冬季五輪で盛り上れる感じはしないのですが、
日本代表の選手が入賞したりすると嬉しかったり、メダルに手が届かないと残念に思ったりはしますね。
どの国から来た人も誰もが五輪で良い色のメダルを目指して頑張ってると思いますのでそう簡単に日本人がメダルラッシュするのは難しいでしょう。
でも頑張ってほしいです。
ガンバレ日本!!!!
上村愛子 バンクーバー 決勝 惜しくも4位 2010/02/14【動画】
愛子あと1人メダル逃がす/モーグル
<バンクーバー五輪:女子モーグル>◇13日(日本時間14日)◇サイプレスマウンテン
フリースタイルスキー女子モーグルの上村愛子(30=北野建設)が、惜しくもメダルを逃した。不器用だがまじめに母圭子さん(58)と人生を歩み、18歳だった98年長野五輪7位から4年ごとに、1つずつ順位を上げて自己最高の4位。近いようで遠かった表彰台まであと1歩に迫り、泣き笑いを浮かべた。冬季五輪の個人種目での4大会連続入賞は、スピードスケートの橋本聖子らを抜いて日本人最多記録となった。
雨に打たれ、上村は笑って泣いた。「何でこんな、1段1段なんだろうと思いましたけど、五輪で全力を出すというのが第1の難関だった。それがクリアできて、皆さんにしっかりと見てもらったと思います」。4位。98年長野五輪の7位から4年ごとに1段ずつ、階段を上ったが、もう1段が遠かった。
予選は5位で通過。決勝は攻めた。第1エアのヘリコプター(横1回転)は大きく決めた。体が後ろに傾き、スピードを欠いた。第2エア。バックフリップ(後方宙返り)の着地で、左足がわずかに外へ流れた。フィニッシュと同時に右手を上げた。4人を残して2位。直後の2人が連続で転倒し“タナボタ”の空気が一瞬漂ったが、最後の2人に抜かれ、表彰台は消えた。
07-08年シーズンにW杯種目別総合優勝。09年の世界選手権では2冠。モーグル選手としては世界の頂点に立った。なのに、五輪だけはメダルと縁がない。「『なぜだろう』はないですね。自分は全力を出したなって思うし、本当にパワフルな滑りをした人が1、2、3に入っている。自分はそこが足りなかったのかなと思います」。滑りには納得できたと思っているのに、泣けてくる。「メダルに届くように支えてくれる人がすごく多かったので、それを考えると、すごい涙がどんどん出てきます」。
コツコツ生きてきた。中3の時、両親が離婚した。母圭子さんや兄宗輔さんと支え合ってきた。圭子さんは「本当によく頑張った。今までのこと、すべて頑張ったと言ってやりたいです」とねぎらった。
98年長野五輪のころは、足や腕が太くなるのが嫌で、食事をしっかり食べなかった。ひざのケガが続いた06年トリノ五輪前後から、本格的な体幹トレーニングに取り組んだ。スキーブーツをはき続け、外反母趾(ぼし)に悩まされた。今は、スキーブーツに入れるソールを普段の靴にも使う。
圭子さんは言う。「以前は自分の体についた筋肉を気にしていた。最近は女性とは思えないほど、しっかりした筋肉がついているんです」。夫には「お母さんが安心してくれる人」として、アルペンスキーの皆川を選んだ。五輪4大会。12年の歳月が「少女」を「選手」「妻」へと変えた。
今後のことは、まだ考えていない。「(バンクーバー近郊の)ウィスラーでモーグルに出会って、ここでメダルを取れていたら、辞めていたかもしれない。もう少しゆっくり考えようかなと思います」。マネジメント事務所「スポーツビズ」の山本社長は「(14年の)ソチまでやったっていいんじゃないか」と言う。
一方で、圭子さんは、娘の将来を思う。「自分は愛子という子どもがいて、本当に幸せで仕方がない。愛子も、自分がお母さんになった時、私と同じように、この幸せを感じてくれたらうれしいです」。妻として、母として新たな人生を歩むのか、あるいは選手としてメダルに再挑戦するのか。いずれにしろ、上村の人生にはまだまだ楽しみが残っている。
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