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小田嶋正邦
小田嶋 正邦(おだじま まさくに、1979年4月12日 - )神奈川県相模原市出身のプロ野球選手。旧姓は郡田(こおりだ)。
略歴
東海大山形高から東海大学を経て2001年ドラフト3位で横浜入団。高校では1995年夏に全国出場を果たし、大学では2001年日米大学野球代表選手に選出された。
2003年7月18日巨人戦で球団史上初の代打サヨナラ満塁本塁打を放つ。これを機に当時の山下大輔監督が小田嶋の代打起用にこだわるようになった。
2006年持ち前の長打力を生かす為、内野手に転向。一軍では打率.205と苦しむも3本のホームランを放つなど長打力を見せた。11月6日、仁志敏久とのトレードで巨人へ移籍。2007年は開幕一軍入りを果たした。巨人では再び捕手としての守備練習を行っており、選手としての今後の身の振り方が注目される。2008年は一軍でも二軍でも捕手としての出場はなかった。
毎年二軍では安定した成績を残しているが、一軍では未だに力を発揮できていない。
エピソード
横浜時代のあだ名は「オダジーニ」、かつてヤクルトスワローズなどで活躍したロベルト・ペタジーニの力強いバッティングに似ていたことから捩って呼ばれていた。
2006年夏に小田嶋専用の応援歌が制作されたが、巨人に移籍したため僅か3ヶ月でお蔵入りになってしまった(球場では3回しか流れなかった)。
ボールを芯でとらえた際の飛距離は素晴らしく、横浜時代は小田嶋が打撃練習をする際、当時のチームメイトの多村仁が必ず見学していたという。
一方で一軍では甘い球を打てず、ボール球で凡退というスタイルが目立っている。
個人記録
初出場:2002年10月8日広島25回戦(広島) 8回谷口の代打、苫米地の前に中飛
初安打:2003年5月18日ヤクルト9回戦(神宮) 9回成本から中前安打
初本塁打・打点:2003年7月2日ヤクルト16回戦(長野) 8回石川から中越ソロ
背番号
26 (2002年 - 2006年)
45 (2007年 - )
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