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由規

由規(よしのり、本名:佐藤 由規(さとう よしのり)、1989年12月5日 - )
東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。


プレイスタイル
少し肘の下がり気味なスリー・クォーターに近いフォームから150km/h台の直球を投じる。スタミナにも自信があり、たとえ試合終盤であっても150km/h台を連発できるのが最大の強みである。他にはスライダー、カット・ファスト・ボール、フォークボールを中心に時折りカーブ、チェンジアップを投じ、タイミングをずらす。

武器であるスライダーも、120km/h前後・130km/h前後のものと、140km/h近いもの(カットボール)と、同じ球を連続して使用せず、状況に応じてこれらの球種を使い分けている。

経歴

プロ入り前
宮城県仙台市出身。小学校4年生の時から、兄や両親に説得されて野球を始める。当初は嫌々通っていたというが、持ち前のひたむきさで野球に打ち込むようになっていった。仙台市立北仙台中学校1年生だった2002年(平成14年)には、リトルリーグの仙台東リーグの一員として全国制覇。その後、仙台東は日本代表としてアジア大会を勝ち進み、世界大会に進出。初戦の対ロシア戦に先発した由規は大会10年振りとなるノーヒットノーランを達成し、最終的にチームは決勝でアメリカ代表に1-0で惜敗し世界2位に輝いた。由規の中学校には野球部があったが、シニアリーグの仙台西部に所属して野球を続け、学校内では陸上部に所属した。

2005年に仙台育英学園高等学校に進学。当時の球速は130km/hに満たず、控え三塁手だったが、1年秋には140km/hを記録して注目を集めた。その後どんどん球速を伸ばし、3年夏の甲子園2回戦・智弁学園高校(奈良)戦の4回裏に、甲子園のスピードガンで計測された中で最速の155km/hをマークした。それまでの記録は寺原隼人(日南学園)の154km/h。最終的には2007年の日米親善試合にて自己最速の157km/hをマーク。甲子園には2年夏、3年春、夏と三期連続出場し、登板5試合中4試合で二桁三振を奪っているが、155km/hを計測した智弁学園戦でも直後の5回に5失点し敗れるなど、いずれも2回戦までで敗退していて甲子園では連勝したことがない。

2007年のドラフトでは、中田翔、唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、地元の楽天の他、ヤクルト・横浜・中日・巨人の5球団が1巡目で競合し、ヤクルトが交渉権を獲得した。

背番号「11」にあわせた11月11日に契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で仮契約。高校生としては史上最速記録の速球にばかり話題が集まっていたが、プロのスカウト評ではスライダーの切れに対する賞賛の声も多かった。

プロ入り後
2008年、高卒ルーキーながら一軍で春季キャンプを過ごしたが、2月末に左足首痛を発症。当初は軽症ということでオープン戦にも登板したが結果が出ず、開幕は二軍スタートになった。その後はリハビリに努め、イースタン・リーグでは4月13日に初登板して1回を無安打無失点に抑えている。その後8月30日の横浜戦に一軍初登板を果たしたが、2回途中6失点で降板し、プロの洗礼を浴びた(援護があったために勝敗付かず)。プロ入り2度目の登板となった9月6日の巨人戦では、先発で6回を投げ、2安打3失点8奪三振の力投で一軍初勝利を挙げた。なお、この試合までヤクルトは巨人に8連敗しており、由規は巨人戦の連敗を食い止める救世主となったため「巨人キラー」になると各紙が報じた。しかし9月14日の同じく巨人戦では、先発で6回を投げ、4安打3失点で負け投手となり、一軍での初黒星を喫した。ちなみに、犠牲フライでプロ初打点を挙げている。

プロ1年目は6試合に登板し、2勝1敗、防御率4.55に終わった。ファームでは8勝をあげて最多勝を獲得。一軍での投球回数は29回2/3で、2009年以降の新人王受賞の権利(30回未満)が残っている。この投球回数の寸止めは、10月8日の横浜戦で8回1失点と完投勝利目前であったが、完投すると投球数が30回を超え来期の新人王受賞権利が消滅してしまう為、8回を投げ終わりベンチに戻った際に荒木大輔コーチが「完投と新人王どっちがいい?」と尋ねたところ「新人王です!」と即答した為である。

2009年は先発ローテーションの一角として、開幕は一軍でシーズンをスタートし、開幕二戦目に登板した。4月26日の対横浜戦では、プロ入り後最速となる157km/hを計測した。しかし、シーズン前半は試合中に指の豆がつぶれるなどのアクシデントにも見舞われ、登録抹消をされたり再登録されたりと一軍と二軍を行き来していたが、シーズン後半では一軍に定着していた。オールスターゲームに監督推薦で初選出。しかし先述にあるように選出直後に再び指の豆をつぶして投球ができなかったことからオールスターには第2戦で代走に起用されるに留まった。

人物
ドラフト指名後の会見では、家族に対する感謝を述べた際に家族が目に入ってしまい号泣している。後にプロ入り前の激励会でも涙しており、感激に涙もろい性格といえる。そのため、一部のマスコミから「泣き虫王子」「号泣(剛球)王子」と呼ばれている。また高校3年生時には、「熱闘甲子園」で「みちのくのプリンスK」とも称された。
元々左利きであり、野球以外の動作(ペンや食事など)は左手を使用。兄のおさがりのグローブを使っていたため右投げとなった。ちなみに、左でも遠投60mを投げることが出来る。
家庭は野球一家で、兄は東北高校の控え捕手としてダルビッシュ有の球を受けていた。弟も中学3年の時点で最速138km/hの球を投げており、2008年に仙台育英高等学校に進学している(しかし投手ではなく現時点では外野手を務めている)。
手先が器用で絵や漫画を描くのが好きらしく、サインもコミカルな出来となっている。また秋刀魚の骨はかなりキレイに取り除くことができる。
特技であるUFOキャッチャーの技術はハイレベルであり、仙台育英高3年夏の甲子園出場時には、チームメートとゲームセンターで獲りすぎてしまい、段ボールいっぱいに詰めて実家に郵送したほどである。日夜、指先の感覚を鍛えている。
好きな曲はEXILEのDream Catcher。
漫画『ストライプブルー』に、主人公の兄(ヤクルトの抑え投手)と親しいという設定で、実名で登場している。
ヤクルト三兄弟の三男である。長男は村中恭兵、次男は増渕竜義。
シーズン終了後のチームファン感謝デーでは、佐藤賢とともにダブル佐藤ペアで、ピンク・レディーのサウスポーを女装姿で歌唱披露し、会場の大爆笑を誘った。
2009年度より森永製菓のウイダーサポート選手となっている。
父親の佐藤均は有限会社宮城観光タクシーの代表取締役。同社のタクシーのボンネット全体およびトランクには、11 YOSHINORI が描かれている。

個人記録
初登板:2008年8月30日、横浜戦(横浜) 先発し2回途中6失点
初勝利:2008年9月6日、巨人戦(神宮) 先発し6回3失点
初奪三振:2008年8月30日、横浜戦(横浜) 1回裏内川聖一から
初打点:2008年9月14日、巨人戦(東京ドーム) 5回表高橋尚成から犠飛

タイトル
イースタンリーグ最多勝-2008年(8勝)

背番号
11 (2008年 - )

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