最新記事
サイト内検索
カテゴリ
アクセスカウンター
累計の閲覧者数:
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
>>もっと面白い球界裏情報や面白ブログはここでチェック
↓↓↓↓ランキング参加中ですクリックのご協力お願いします↓↓↓↓
久米勇紀
久米 勇紀(くめ ゆうき、1985年9月10日 - )福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)である。
プレイスタイル・特筆
右サイドハンドから投げ込むMAX148km/hの速球とスライダーが武器。シンカーも稀に用いるほか、サイドスローとしては珍しくフォークも投げる。
後述のように大学時代から投手を始めたという珍しい経歴を持ち、野手経験の長さからフィールディングが上手い。また、牽制やクイックも得意。
人物・来歴
桐生第一高等学校時代は、主将・二塁手として2003年の第85回全国高等学校野球選手権大会に出場し、ベスト4に貢献。高校時代は俊足と堅実な守りや球捌きのよさをセールスポイントとした内野手だった。明治大学入学後投手に転向。1年次の春季リーグ戦で東京六大学野球リーグ戦優勝を経験した(この時久米は試合には出場していない)。
本人は高校時代から投手を志望していたが、高校・大学とチーム事情からやらせてもらえなかった。しかし大学1年時、当時エースだった一場靖弘が裏金事件に関わり退部したため投手陣が手薄になり、投手転向が認められた。一場から「おまえがプロになれたのも俺のおかげだぞ」と言われたこともあるという。
同年秋の開幕戦(対東京大学)に救援で初登板を果たし好投するが、松家卓弘に完封負けを喫した苦い試合だった。4年次(2007年)には古川祐樹(巨人)、水田裕(東邦ガス)、白石守(三菱重工名古屋)と合わせて「明大カルテット」または「M4」と呼ばれた強力投手陣を形成した。また北京オリンピックプレ大会の代表に選出されている。
同年11月19日、大学・社会人ドラフトにおいて福岡ソフトバンクホークスの3巡目指名を受け、11月29日、ソフトバンクと仮契約を結んだ。契約金8000万円、年俸1200万円。
ルーキーイヤーの2008年開幕を1軍で迎えると、3月20日の開幕戦(対楽天戦、ヤフーD)で8回途中から球援登板。チームがサヨナラ勝ちしたためプロ初勝利を挙げた。新人選手が開幕戦でプロ初登板初勝利を記録するのは、2000年3月31日の木塚敦志(横浜)以来8年ぶり。パ・リーグでは1959年の足立光宏(阪急)以来49年ぶり、5人目の記録。
開幕戦の勢いのままシーズン前半を防御率0点台で終えるなど、馬原孝浩不在で手薄な救援陣の救世主となり、40試合に登板し防御率3.25、チーム最多の19ホールドポイントを記録。しかし連投の疲れからか中盤以降は打たれる場面が目立つようになり、二軍落ちも経験した。
2009年は6月の練習中に右手首を骨折したため、18試合の登板に終わった。
タイトル・表彰・記録
初登板・初勝利:2008年3月20日、対東北楽天ゴールデンイーグルス 1回戦(福岡Yahoo!Japanドーム)、8回表2死から救援登板
初奪三振:同上、8回表に山崎武司から
初セーブ:2008年4月10日、対オリックスバファローズ 3回戦(福岡Yahoo!Japanドーム)
エピソード
座右の銘は「野球は戦争」。
還暦を迎えた後に古書店のオヤジになることが将来の夢。
趣味は音楽鑑賞(ザ50回転ズ)。ほかにはサッカー、スノーボード。
投球フォームを辻武史に水鉄砲に例えられた。本人はアダ名として使ってほしいようだが定着していない。
>>もっと面白い球界裏情報や面白ブログはここでチェック
↓↓↓↓ランキング参加中ですクリックのご協力お願いします↓↓↓↓