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岸孝之

岸 孝之(きし たかゆき、1984年12月4日 - )
埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(投手)。


プレースタイル
細身だが、しなやかな腕から繰り出す快速球(直球)と、鋭く曲がるスライダーを武器とする本格派投手。チェンジアップ、カーブもキレがあり、緩急を生かした幅の広い投球が持ち味。トレードマークでもある長髪は大学3年から。端正で細身なスタイルと甘いマスクで人気が高い。

持ち球:ストレート、スライダー、カーブ、チェンジアップ、フォーク、カットボール、ツーシーム(シュート)。

経歴

プロ入り前
社会人野球の七十七銀行硬式野球部の元監督である父親の影響で、仙台市立西中田小学校3年となった1993年(平成5年)から安久野球部(現:西中田ゴールデンアクロス)で野球を始めた。その後仙台市立柳生中学校、宮城県名取北高等学校へと進学。高校3年生となった2002年(平成14年)夏の宮城県大会では2回戦で敗退し、甲子園出場を経験することは出来なかった。

“東北の快腕”と呼ばれた大学時代は、東北学院大学でエースとして活躍し、仙台六大学野球リーグでは強豪の東北福祉大学戦に完封を含む3連投をする活躍で敢闘賞を受賞、同大学の35連覇を阻止、東北学院大学の18年ぶりリーグ制覇に貢献した。MAX152km/hのストレートと、”西口2世”とも呼ばれるほど切れ味抜群のスライダーを武器に2006年春には、リーグタイ記録となる19奪三振を 2度マークするなどリーグ新記録の92奪三振をマークし、最優秀選手賞(MVP)に輝いた。

日米大学野球選手権大会、世界大学野球選手権大会の両大会においてエース級の活躍を見せ、2006年(平成18年)の日米野球ではアメリカを無失点に抑えるなど大学NO.1右腕と称される。大学通算成績23勝11敗。

西武ライオンズと地元の東北楽天ゴールデンイーグルスが、更にドラフト直前には大隣憲司の獲得を断念した読売ジャイアンツが希望枠での獲得を目指すが、最終的に当初から目を掛けてくれている事、尊敬する西口文也のいる事を理由に西武を選択した。2006年大学生・社会人ドラフトで、希望枠で西武ライオンズに入団した。

プロ入り後
2007年開幕直後から一軍先発ローテーションに定着。二度目の先発投手となった4月6日のオリックス・バファローズ戦でプロ初勝利を上げる。チームが低迷する中コンスタントに勝ち星を挙げ、チームの新人では松坂大輔以来となる二桁勝利(11勝)をマーク。チーム2位の防御率3.40、奪三振数はチームトップの142を記録した。

チームの10連敗を止めるなど3度の連敗ストッパーとして活躍し、新人離れしたマウンド度胸も見せた。ただ156.1イニングで与四球55と、同じく新人である田中将大(楽天)に次ぐリーグワースト2位の四球を与えてしまい、制球面で課題を残した。

シーズン終了時に田中と11勝7敗で並び、新人王争いが注目された。防御率は岸の方が上だったが、投球回数ならびに奪三振数は田中の方が上。また、高卒の18歳(岸は大卒の22歳)等といった話題性や注目度の差もあり[要出典]、新人王の座は田中に譲る形となった。しかし好成績を残したことが評価され、パ・リーグ特別表彰として「優秀新人賞」を受賞。

2008年初登板の3月26日北海道日本ハムファイターズ戦を完封勝利で飾るものの、シーズン序盤は打ち込まれるケースが続いた。シーズン中盤から調子を上げ、8月11日、1950年の球団創設以来4000勝目となる勝利を8回無失点で飾った。8月の月間成績は3勝0敗防御率1.32で、自身初となる月間MVP(8月)を受賞。その後も好調を維持し、シーズン終了時には前年を1勝上回る勝ち星12勝、負け数も4と減らし、課題の四球も48と減って、リーグ優勝に貢献した。オリックス戦と相性が良く、6試合登板し4勝、防御率1.71とオリックスキラーぶりを発揮した。その一方でロッテ戦は防御率6.10と苦手にしており、シーズン4敗のうち2敗はロッテ戦であった(2009年は3試合3勝1完封防御率1.93と苦手意識を払拭した)。

クライマックスシリーズ(CS)では第2戦に先発、日本ハムのダルビッシュ有と投げ合うが4回5失点でノックアウトとなり、チームも完封を喫し負け投手となってしまう。

読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは11月5日の第4戦に先発し、登板前には「緊張して吐きそう」とマスコミに漏らしつつも、クライマックスシリーズでの不振が嘘のように三振の山を築きあげる。結果的には147球を投げ1981年の西本聖(巨人)以来2人めとなる27年ぶりの毎回奪三振、2005年の渡辺俊介(ロッテ)以来12人目となる3年ぶりの日本シリーズ初登板初完封(初登板で初完封と毎回奪三振をともに達成したのは史上初)という快記録を達成した。ヒーローインタビューでは第5戦以降の抱負をきかれたときに「行けと言われたら行きます。」と発言した。そして2勝3敗と王手をかけられた11月8日の第6戦では、4回裏1死1、3塁から先発の帆足和幸を東北学院大時代以来となる中2日でリリーフ登板。プロ入り後初のリリーフ登板であったが、9回までの5回2/3を無失点に抑えて勝利投手となった。また、この2試合の登板で12イニング連続奪三振の日本シリーズ新記録も樹立した(第4戦1〜9回、第6戦4〜6回)。逆王手をかけた西武は11月9日の第7戦、3-2で勝利し日本一を達成。岸はこの活躍で日本シリーズMVP(最高殊勲選手賞)を獲得した。上記のとおり読売ジャイアンツを得意とし、交流戦では8イニングを投げ防御率は1.13、日本シリーズに至っては14+2/3イニングを投げ無失点と「巨人キラー」としても活躍した。(日本シリーズを含む防御率は0.40)

2009年、2008年シーズンの活躍が評価され、WBC日本代表の第一次メンバー候補35人に選ばれたが、最後までWBC公式球に対応できず、調整不足などもあって最終メンバー28人の候補から漏れてしまった。

しかし、シーズン開幕後はその鬱憤を晴らすかのような活躍を見せ、5月25日の中日戦で黒星を喫するまで開幕6連勝、自身の連勝も2年越しで12連勝を記録した。4月の月間成績は4試合4勝0敗だったが、月間MVPは同じく4勝0敗の田中将大に譲った。7月20日のオリックス戦で10勝目を挙げ、チームでは松坂大輔以来となる入団から3年連続での二ケタ勝利となった。この試合で対オリックス戦8連勝をマークし、2年連続でオリックスから最も多くの勝ち星を挙げた。前半戦を10勝1敗とリーグ最高勝率で折り返し、初めてオールスターゲーム (日本プロ野球)に選出された。8月15日の日本ハム戦で、7回まで無失点に抑えたが8回に自らの残したランナーを救援陣が返してしまって負け投手になり、対パ・リーグ16連勝が途切れた。8月22日のロッテ戦で自己最多に並ぶ12勝目を挙げたが、それ以降は好投しても打線の援護が無く5試合連続で勝ちに見放された。シーズン最終戦10月1日のロッテ戦で、ペナントレースでは初めての救援登板で7回途中から9回まで無失点で投げ切り、9回裏にチームがサヨナラ勝ちして初の救援勝利を手にし、自己最多を更新する13勝目をマークした。援護率(マウンドにいる間味方がどれだけ点を取るかの率)は2年連続でチームトップ、リーグ3位だった。

エピソード
高校3年夏の宮城県大会1回戦の多賀城高戦で、この高校の選手として東北学院大学・菅井徳雄監督の息子が出場していた。この試合を観戦していた菅井監督は、息子のチームをノーヒットに抑える相手チームの岸に注目。無名校の投手だった岸に、スポーツ推薦での東北学院大学への入学を頼み込んだというエピソードがある。ちなみにこの試合、死球をひとつ与えたため完全試合はならなかったが、この死球を与えた相手は菅井監督の息子である。岸はこの試合に勝ったものの、次の2回戦で早々と敗退してしまった。
緊張症であるため、ビッグゲームの前には体調が悪くなるという。マウンドでは足が震え、「片足で立つと倒れそうな気がする」と言っている。これは相手が強いチームであるときに限った話ではなく、格下の弱小チームであっても変わらないという。しかし、だからといって投球内容が悪くなるということもない。
野球選手としては珍しく極端に食が細い。特に夏場は食べられない。登板直後も食べられなくなる。同僚の涌井秀章は「タカさんはもっと食べたほうがいい」と苦言を呈すが、岸は「ワクは食べ過ぎだよ」と言っている。
同じチームの先輩投手であった正津英志とは尊敬する師弟関係であり、岸が正津からピッチングのノウハウを学んでいる。2008年7月12日 対オリックス(スカイマークスタジアム)で岸がオリックスを7回2失点と好投したが、打線の援護の無いまま同点の場面で降板、二番手投手として登板した正津が1イニングを無失点で抑えた。その後この試合が誕生日の石井義人が自らのソロアーチで祝い、中島裕之のセンターへのタイムリーで4‐2と勝ち越しに成功、チームはそのまま勝利した。中継ぎで登板し2年ぶりの勝ち星を得た正津はスポーツ報知へのコメントに「この勝ち星を先発の岸につけてあげたかった。」と自分の勝利よりも後輩の岸を労う一面があった。
若手中心の明るいチーム内にあっては珍しく、大人しく生真面目な性格である。
2008年の西武の優勝祝賀会の次の日が岸が登板する(日本ハム戦 札幌ドーム)予定だったため、「ビールかけ」を控え目にして、宿舎で早目に休んだ。その際に、渡辺久信監督の冒頭の挨拶で「岸ハードラック(=不運)」と言われている。
2008年11月5日に行われた日本シリーズ第4戦での史上初となる日本シリーズ初登板初完封、2勝3敗と王手をかけられた11月8日の第6戦での4回裏1死1、3塁からの中2日でのプロ入り後初となるリリーフ登板で、9回まで一人で投げ抜き5回2/3を無失点に抑えて勝利投手となり、この2試合の登板で12イニング連続奪三振の日本シリーズ新記録も樹立したという快挙を達成した背景には、尊敬する西口文也にシリーズ第7戦に絶対先発してもらいたかったから、という大きな想いがあった。このことからもわかるように、岸の西口に対する尊敬の念はとても大きい。(岸の想いもあってか、翌日の第7戦は西口が先発した。登板内容は2回2失点と決して良いものではなかったが、後続の投手陣がその後の巨人打線を無安打無失点で完全にシャットアウトし、西武が2008年日本一を決めた。)
2008年の日本シリーズMVPに選ばれたときの胴上げでは、渡辺久信や大久保博元といったスタッフ陣よりもかなり高く胴上げされた。これに関して岸は「軽いからって上げすぎですよ」とコメントしていたが、これは選手の間で「どれだけ上がるか?」という話が出たためとのことである。
2008年時の身長180cm体重68kgというプロフィールは、偶然にも、石野真子のセカンドアルバム【MAKOⅡ】に収録されている「完全試合」の歌詞そのままである。
2009年1月25日の放送分の「ジャンクスポーツ」にて同僚で先輩の石井一久に電話で「レバーが食べたい」、「ウニが食べたい」と聞いてきた。その際、石井は「焼肉や寿司を喰いたいならわかるけど、ピンポイントで注文されると・・・」という苦笑いした。
喫煙者である。

記録
初登板:2007年3月30日、北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、先発登板で7回2失点、勝敗付かず
初奪三振:同上、3回裏に木元邦之から
初勝利:2007年4月6日、オリックス・バファローズ1回戦(京セラドーム大阪)、先発登板で8回2/3を2失点
初完投勝利・初完封勝利:2007年6月13日、阪神タイガース3回戦(グッドウィルドーム)
日本シリーズ初登板初完封 2008月11月5日対巨人戦
日本シリーズ12イニング連続奪三振 2008年11月5日1~9イニングから、11月9日4~6イニングまで 計12イニング (初登板で初完封と毎回奪三振をともに達成したのは史上初)

タイトル・表彰・記録
優秀新人賞(特別表彰) - 2007年
月間MVP:1回(2008年8月)
日本シリーズMVP:1回(2008年)

背番号
11(2007年 - )

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