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高橋尚成

高橋 尚成(たかはし ひさのり、1975年4月2日 - )
東京都墨田区出身の読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手(投手)。


経歴
1993年、修徳高校3年時に夏の甲子園でベスト8進出。駒澤大学では東都大学リーグで通算60試合に登板し17勝11敗、防御率2.58、239奪三振。東芝に進んでからは、1999年の第70回都市対抗野球大会で優勝を飾り、優秀投手に選ばれる活躍をする。同年のドラフト会議で1位(逆指名)で巨人に入団。
2000年、4月6日の中日戦で堀内恒夫以来の初先発・初勝利を挙げるなど、シーズン当初から活躍。新人王こそ首位打者を獲得した金城龍彦に譲ったものの最終的に9勝6敗、防御率3.18の好成績を挙げる。同年の日本シリーズでは第5戦福岡ドームに先発し、史上10人目、巨人の投手としては5人目の初登板初完封を飾り、優秀選手賞を受賞した。
翌2001年も9勝、2002年には初の10勝を挙げて巨人の先発投手陣の一角として地位を築いていったが、2003年から2004年は怪我もあって思うように投げることができず、2005年もローテーションこそ守るものの不安定な投球が多く、2年連続で10敗を喫するなど負け越しの成績に終わる。10敗のうち5月8日宮城での楽天イーグルス戦で岩隈久志と投げ合い敗北した分も含まれ、球団史上初の交流戦敗戦投手となった。03~05年の3年間は17勝26敗で防御率5.00に終わった。
2006年は内角攻めのスタイルを取り入れ、オープン戦から快投が続いたが、開幕早々4月5日のヤクルト戦で、ベンチに飛んできた青木宣親のファウルボールが顔面を直撃。右頬の骨折で長期離脱。復帰後は抑え投手に回って15セーブを挙げた。しかし、高橋の抑えは本来の抑えである豊田清が離脱していたことによる緊急措置であり、オフの交渉では清武英利球団代表に2007年の先発復帰を直訴している。
2007年には先発に復帰、4月には月間5勝を挙げ、球団の左投手としては1979年5月の新浦壽夫以来、28年ぶりの快挙を成し遂げた。入団8年目にして監督推薦によりオールスターゲーム初出場を勝ち取り、フルキャストスタジアム宮城での第2戦に先発、山崎武司 にホームランを打たれ2イニングで2失点を喫したものの、阿部慎之助の3ランなどのセ・リーグの打線の奮起に助けられて勝利投手となっている。シーズンでは自己最多となる14勝を挙げ、リーグ優勝に大きく貢献。シーズン終盤8月2日から9月15日まで1ヶ月以上白星が無いという状況になり一時的にグライシンガーに防御率を抜かれたが、最後は2連勝で初の個人タイトルとなる最優秀防御率も獲得した。2007年のベースボールTVのインタビューの中で、「目標は、いつかは完全試合を達成する事。また工藤公康、桑田真澄らベテランが去り、内海哲也、金刃憲人や復活を遂げた木佐貫洋など、若手台頭の中でジャイアンツ投手陣の(上原と共に)最年長投手となり、G投手陣のリーダーになる」という宣言をした。
2008年は初の開幕投手に指名され東京ヤクルトスワローズ戦に登板したが、雨足が強く不運な安打もあったことから4回5失点と奮わず、チームも2対6で大敗した。その後の登板でも不振は続き、5月20日の千葉ロッテマリーンズ戦で3回途中6失点と打ち込まれたのを機に再調整を命じられ、出場選手登録を抹消された。なお、後半には調子を取り戻し、最終的に8勝をマーク。
2009年、シーズン序盤~中盤は好不調の波が激しく勝ち星が伸び悩んだが、9月以降に5連勝を記録し10勝6敗でシーズンを終え、自身3度目となる二桁勝利を達成。防御率も2.94を記録した。

プレースタイル
ストレートの球速は平均140km前後だが、制球力が高く、丹念にコーナーを突いてカウントを稼いで、最後はスクリューボールで打ち取る投球パターンをもつセリーグきっての技巧派である。
球種はスライダー、カーブ、スクリューボール、シュート、ツーシーム、時折フォークを使う。
ランナーを置くと、制球が上ずったり、緩急が使えず一本調子な投球に陥る傾向がある。
被本塁打が多く、いわゆる一発病の傾向がある。
好不調の波が激しく、勝ちが付き始めると月間MVPを獲得するほどにまで連勝し好調となるが、逆に勝てなくなると一ヶ月以上も勝ちが付かない時期が続いてしまい、投球自体も不調に陥りやすくなる。
抑え投手を経験した2006年に豊田清のスローカーブの軌道をブルペンで盗むことで、2007年は緩急を織り交ぜ過去最高の成績を出したが、2008年は速球と空振りを取る目的の速いカーブを主体に用いたピッチングスタイルで不振に陥り、2度の登録抹消を経験した。

エピソード
全国高等学校野球選手権大会に於いて、1試合4犠打の記録を作った選手である(他に2名タイ記録保持)。
宴会などで酔っ払うと、パンツを脱ぎ(Tバックの時もある)尻を出すことで知られた。2000年の優勝時の祝勝会では、床にうつ伏せで寝転んで、尻を露出しはしゃいだ。同年のシーズンオフの納会においては、長嶋監督の目の前で「闘魂こめて」にあわせて箸をタクトのように振った。2002年の祝勝会においても尻を出したことで、高橋は妻の叱責を受け、日本シリーズの対戦相手である西武の伊原春樹監督(当時)からは「汚いし、品位がない。全国放送で見せるもんじゃない」と痛烈に批判された。後日、伊原監督に批判されたことを知った高橋は「カミさんに言われるのは納得するが、敵の監督に言われると腹が立つ」と発奮。日本シリーズ第4戦に先発した高橋は好投し、勝利投手となった。
このようなことから、「宴会部長」の異名を持つが、“球界の紳士”という建前の巨人軍の選手にあるまじき行為として一部ファンの批判も強かった。結婚など私生活の変化もあってか近年は露骨なパフォーマンスは控えられている。前述の伊原は2007年から巨人の野手総合コーチを務め、同年のリーグ優勝目前には高橋の「ケツ出し」を容認する発言をしていたが、祝勝会において高橋が尻を露出する姿は見られず、好事家の失望を買った。
現在ジャイアンツには同姓の高橋由伸外野手がいる為チーム内では「ヒサノリ」と呼ばれ、略称は「高橋尚」と表記される。生年月日は高橋由伸と一日違いである。元チームメイトの上原浩治(現オリオールズ)と高橋由伸は同じ生年月日であり、高橋尚成を含めた3人は誕生日が近い選手たちである。
原監督に代走で起用されたことがある。
2003年5月21日の福岡ドームでのヤクルト戦で完封ペースで投げていたが、左翼手のクリス・レイサムがフライ打球処理後アウトカウントを間違い(フライ捕球時点でまだ2アウトだったのに、レイサムはファンサービスのつもりでボールをスタンドに投げ入れてしまい、2塁ランナーがホームインし高橋の完封を阻んだという事があり、味方の失態にマウンド上でやるせない顔をした高橋がいた。
2007年より背番号が21に変わった。過去巨人ではV9時代の高橋一三、1990年代の宮本和知と、印象に残る左投手が背負っていた。2006年までは背番号17番であったが、シーズン終了後に原辰徳監督が高橋宅に電話をし「お前は来年から背番号21に変更だ。なぜなら“左のエース”だからだ」と促されたらしい(前任の右投手・木佐貫洋は41に変更)。
私生活では2001年に幼稚園教諭をしていた女性と結婚、妻との間には子があることを公表している。
1998年1月に実母(享年51)、2007年6月21日に実父(享年64)との死別を経験。
2007年6月23日の西武戦で12球団一番乗りの10勝を達成。実父の葬儀にも駆けつけられない中での「涙の勝利」であった。10勝一番乗りは、巨人では1999年7月4日の上原浩治以来。6月中となると1990年6月22日の斎藤雅樹以来の記録になる。
2008年シーズンまでの通算69勝のうち、21勝を横浜戦であげており、チーム別の対戦成績では最も勝ち星が多い。このことから、横浜キラーとも呼ばれることもある。
2008年シーズン終了後の契約更改では、ダウン提示を保留した際「(中継ぎに)勝ち(投手の権利)を消されたのもかなりあった」と発言し、一部ファンから反感を買った。この年はリリーフに勝ち星を消されたかたちになった試合が4度あったが、リリーフ・野手陣の踏ん張りで負けを消してもらった試合も4度あり、また自身の完投も0回だった。
登板時のBGMは2種類あり、1曲はインナーサークルの『Games People Play』である。

タイトル・表彰
最優秀防御率:1回(2007年)
最優秀バッテリー賞:1回(2007年)
ベストナイン(最優秀投手):1回(2007年)

記録
初登板・初先発・初勝利:2000年4月6日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)、8回1失点
初奪三振:同上、3回裏に井上一樹から
初完投勝利・初完封勝利:2000年5月7日、対ヤクルトスワローズ8回戦(東京ドーム)
初セーブ:2006年7月16日、対東京ヤクルトスワローズ11回戦(明治神宮野球場)
1000投球回数:2007年9月9日、対阪神タイガース21回戦(東京ドーム)
オールスターゲーム出場:1回(2007年)

背番号
36 (2000年 - 2001年)
17 (2002年 - 2006年)
21 (2007年 - )



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