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越智大祐

越智 大祐(おち だいすけ、1983年6月30日 - )
愛媛県越智郡菊間町(現今治市)出身のプロ野球選手。読売ジャイアンツ所属の投手。


プレースタイル
前足を大きく前に踏み込む二段モーション気味のダイナミックなフォームが特徴。制球は荒削りながら、最高球速150km/hを超える威力抜群のストレートが武器、MAXは155km/h。2008年シーズンの序盤はこの制球難により打ち込まれることが多かったものの、中盤からは投球が安定し、常時140後半 - 150前半km/hの直球と、落差が大きく更に球速が140km/hを超える高速フォークボール(ファンからは愛称の「雷神」にかけて「雷神フォーク」「ライジングフォーク」と呼ばれる)を中心に、時折スライダー・カーブを混ぜるという投球スタイルを確立した。

鹿取義隆は「投げる瞬間にだけ力を入れる疲労がたまりにくい理想的なフォーム」と評している(ただし本人は2008年シーズン終了後のファン感謝デーや月間ジャイアンツ誌上などで「肩がおじいちゃんみたい(に張っている)」「(来年もいけますか、との問いに)50試合くらいが限界かもしれない」とシーズン終了後の疲労をコメントしている)。阪神の赤星憲広は「直球とフォークの腕の振りがまったく同じなので区別がつきにくい」と評している。

三振奪取能力は高く、2008年の奪三振率は藤川球児を越えたほど。反面、典型的な「荒れ球」投手で暴投も非常に多い。投手としての完成度は同僚の山口や、藤川・岩瀬などに及ばず、クローザーとしては制球の乱れをつかれ打ち込まれることも多いが、セットアッパーとしては無類の安定感を誇っている。 好調時は凡打や三振で簡単にアウトを取るが、不調時は二塁打や本塁打等の長打を打たれやすい。

経歴
菊間中学校では捕手だったが、新田高等学校時代に正捕手争いに敗れ、2年夏までは控え捕手。内野手転向を経て投手に転向。当時のストレートの球速は128km/hだった。卒業後に早稲田大学人間科学部へ進学。早稲田大学では和田毅(現福岡ソフトバンク)や清水大輔(現JR東日本マネージャー)に次ぐ二番手投手として、1年春から2年秋まで無傷の11連勝、早大野球部史上初の東京六大学リーグ4連覇に貢献した。3年の時には一時調子を落としたが4年になって復調し、秋に防御率1.01で最優秀防御率賞を受賞。大学時代の通算成績は15勝5敗。

2005年の大学・社会人ドラフトで巨人から4巡目指名され巨人に入団。

2006年~2007年
2006年は、1度も1軍に昇格することなくシーズンを終えた。2007年シーズン序盤、二軍投手コーチである小谷正勝のアドバイスから投球のポイントを掴み、6月15日の登板で結果を残して以降投球が安定し、150km/hを越える速球を武器に好投 [1]。イースタンリーグでは主にリリーフで22試合41イニングに登板し、3勝1敗防御率3.07、44個の三振を奪い飛躍。また、この年の北京プレ五輪代表一時登録候補にも名を連ねたが、故障のため辞退した。

2008年
開幕1軍入りを決め、3月28日、神宮球場で行われたヤクルトとの開幕戦で中継ぎとしてプロ入り初登板。制球に難があり打ち込まれる場面が多く4月18日に2軍落ちするも、5月4日に再登録される。最初は敗戦処理での登板が主だったが、徐々に制球が良くなり、防御率も改善。大事な場面を任されるようになり、7月25日、東京ドームで行われたヤクルト戦でプロ初勝利を挙げる。その後も山口鉄也と共に中継ぎの柱を担った。最終的にはチーム最多の68試合に登板。奪三振は71イニングで101に達した。一方で暴投も15を記録し、セ・リーグ最多となった。

11月9日、日本シリーズ第7戦で1点リードの7回から登板するも、8回に先頭打者片岡易之への死球を機に同点を許し、さらにその後も連続四球によって自らピンチを広げ、最後に平尾博嗣に決勝のタイムリーヒットを打たれ逆転まで許し敗戦投手となったが、「越智と心中したのだから間違いは無い」(原辰徳監督のコメント)と言われるなど、一介の無名投手から名をあげた1年となった。年俸大幅アップを勝ち取り、背番号も「62」から「22」に変更された。
2009年
スポーツ報知にて同期で同じく2008年に飛躍し、プライベートでも仲が良い山口鉄也とのコンビ名を募集され、1月29日に「風神雷神」と決定した。越智は「雷電フォーク」で打者をねじ伏せる「雷神」という設定。風神雷神は2人で一つということらしい。[1]。4月30日、怪我をしたクルーンの代役にクローザーを務め、プロ初セーブを記録する。シーズンでは山口や豊田と共にリリーフとして貢献。夏場以降は疲労からか主に登板間隔や点差が開いた試合で制球が乱れ打ち込まれる場面が多く、防御率は前年の2.40から3.30と1点近く悪化してしまったものの山口と共に勝利の方程式として2年続けて活躍を見せた。

背番号
35 (2006年)
62 (2007年 - 2008年)
22 (2009年 - )

個人記録
初登板:2008年3月28日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、5回裏に救援登板、2回1失点
初奪三振:同上、5回裏にアーロン・ガイエルから
初ホールド:2008年5月21日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)
初勝利:2008年7月25日、対東京ヤクルトスワローズ13回戦(東京ドーム)、9回表に救援登板
初セーブ:2009年4月30日、対広島東洋カープ6回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム



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