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大引啓次

大引 啓次(おおびき けいじ、1984年6月29日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(内野手)。

目次 [非表示]
1 経歴
1.1 プロ入り前
1.2 プロ入り後
2 人物
3 詳細情報
3.1 年度別打撃成績
3.2 記録
3.3 背番号
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク


経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
大阪府大阪市住吉区出身。創建2000年の歴史を持つ神須牟地(かみすむち)神社の宮司の次男として生まれ、物心ついた頃から恒例行事や大晦日には必ず神社を手伝ったりしていた[1]。

大阪市立長居小学校1年時に住吉連盟の大阪ゴールデンファイアーで軟式野球を始め、投手兼遊撃手。中学時代は硬式野球の住吉大和川シニアに所属し、遊撃手として全国大会に出場。

浪速高校では1年夏からベンチ入りし、1年秋から遊撃手のレギュラーを獲得。2年春の第73回選抜高等学校野球大会に出場し8強入りに貢献。3年夏の大阪大会では5本塁打を放った。高校通算15本塁打。

法政大学(法学部政治学科)進学後は、1年の東京六大学野球春季リーグ開幕戦で9番三塁手としてデビュー。以後不動のレギュラーとして活躍し、3年時の秋季リーグでは同校5年ぶりとなる優勝、4年時には主将となり春季リーグで2季連続優勝を達成した。大学では首位打者を2度、打点王と盗塁王を1度ずつ記録し、ベストナインには5度選出され、小早川毅彦が作ったチーム最多安打記録(114本)を更新し、慶應義塾大学の高橋由伸を抜いてリーグ歴代単独4位となる通算121安打を記録した。

2006年11月4日に明治神宮外苑創建80年記念で行われた東京ヤクルトスワローズと東京六大学選抜チームとの試合で、大引の阪神タイガース入団を熱望した阪神ファンが早くも大引のレプリカユニフォームを作って観戦しているのがニュースで報道され話題になった(背番号は8)。試合は3対2で六大学チームが敗れたものの、大引自身は先頭打者本塁打を含む3安打猛打賞と活躍した。このようなこともあってか「虎の恋人」とも呼ばれた。 ドラフトでは千葉ロッテマリーンズを希望していた[要出典]が、11月21日に行われた大学・社会人ドラフトでオリックス・バファローズから3巡目指名を受け入団した。

プロ入り後 [編集]
2007年は3月24日の開幕戦に8番遊撃手としてスタメン出場。オリックスで新人が開幕スタメン出場したのは指名打者で出場した2002年の後藤光尊以来、遊撃手としては1992年の田口壮以来だった。プロ初打席で斉藤和巳から初安打を記録。3月29日の北海道日本ハムファイターズ戦では8回裏1死満塁から左中間に飛球を放ち、プロ初本塁打・初満塁本塁打かと思われたが、観客がグラブを差し出して打球を掴んだためプロ初打点になる適時二塁打となった。7月6日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で永井怜からプロ初本塁打を記録。シーズン通して遊撃手のレギュラーをほぼつかんでいたが終盤は調子を崩し、好調だった後藤にスタメンを譲ることも多かった。このため規定打席には2打席足りなかったが、最終的には出塁率.329を記録するなど新人野手としてはトップクラスの成績を残した。リーグ3位、遊撃手としては同2位の17失策を記録したがレンジファクターではリーグの遊撃手の中で一位を獲得した。一方で打率.274に対し得点圏打率.212とチャンスで打てなかったことなど課題も残した。シーズン後の秋季キャンプでは臨時コーチを務めたロサンゼルス・ドジャースストレングス・コンディショニングコーチのダグ・ジャローが俊敏性を試すために独自に考案した「球拾いテスト」でチームトップの好タイムを記録。「素晴らしい才能を持った選手がいた」と絶賛された。

2008年3月18日、阪神の選手などが多く所属するオフィスS.I.Cとマネジメント契約を締結。同年も8番遊撃手として開幕戦に出場。開幕直後は打撃不振に苦しんだが、徐々に復調。5月7日のロッテ戦(京セラドーム大阪)では、延長10回裏に荻野忠寛からプロ入り初のサヨナラ安打を放った。しかし、6月9日の阪神戦で久保田智之から右手人さし指に死球を受けて骨折し戦線離脱。8月27日の福岡ソフトバンクホークス戦で復帰し、以後は再び遊撃手のレギュラーとして出場。最終的には故障の影響もあって88試合の出場にとどまり打率.258に終わったが、得点圏打率.319を記録するなど成長の跡も見せた。

2009年は故障者続出でチームが不調に喘ぐ中、107試合に出場して打率.278と健闘し、遊撃手としてのレギュラーの座をほぼ手中にした。しかし、自身も9月1日のソフトバンク戦で甲藤啓介から左手首に死球を受けて骨折し、残りシーズンを棒に振ったため、またしても規定打席に到達できなかった。8月25日の日本ハム戦で9回2死に同点適時打、延長10回にはサヨナラ安打を放ったが、シーズン中の得点圏打率は.221に終わった事、自己ワーストの84三振を喫した事、また好調時は安打を量産する傾向が続く反面、一旦不調に陥るとなかなか安打が出ない傾向も続く事もある事など、来季への課題も残した。しかし、守備の面では再びレンジファクター一位を獲得した。

人物 [編集]
大学で主将を務めている時には「法政史上最高の主将」、「学生野球の鏡」とまで言われた。プロ入り時の契約金8000万円(推定)をほぼ全額実家の神社へ納め[1]、ファンサービスに関しても積極的である。また、人権啓発運動にも2007年より毎年参加している。

自身のブログで、坂口智隆、小瀬浩之、大引本人の3人で構成される「Bs羞恥心」をプロデュースしており、球団の携帯公式サイトのCMに出演。また、その対抗ユニットである「Bs悲愴感」(迎祐一郎、一輝、横山徹也)も同じく大引がプロデュースしている。

詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]

度 球
団 試
合 打
席 打
数 得
点 安
打 二

打 三

打 本

打 塁
打 打
点 盗
塁 盗

死 犠
打 犠
飛 四
球 敬
遠 死
球 三
振 併

打 打
率 出

率 長

率 O
P
S
2007 オリックス 126 444 394 37 108 18 2 2 136 24 3 4 16 1 31 0 2 79 9 .274 .329 .345 .675
2008 88 305 275 29 71 16 3 3 102 26 1 2 16 1 12 0 1 61 4 .258 .291 .371 .662
2009 107 425 349 55 97 23 1 5 137 25 3 3 34 1 33 1 8 84 6 .278 .353 .393 .745
通算:3年 321 1174 1018 121 276 57 6 10 375 75 7 9 66 3 76 1 11 224 19 .271 .328 .368 .696

2009年度シーズン終了時
記録 [編集]
初出場・初先発出場:2007年3月24日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8番・遊撃手
初打席・初安打:同上、2回表に斉藤和巳から右前打
初盗塁:同上、2回表に二盗(投手:斉藤和巳、捕手:的場直樹)
初打点:2007年3月29日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(スカイマークスタジアム)、8回裏に押本健彦から左中間へ2点適時二塁打
初本塁打:2007年7月6日、対東北楽天ゴールデンイーグルス9回戦(フルキャストスタジアム宮城)、4回表に永井怜から左越ソロ
背番号 [編集]
10 (2007年 - )
脚注 [編集]
^ a b オリ・大引、実家の神社に8000万円“寄進”

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