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どこでも誰にも愛された男、木村コーチ逝く
先日、くも膜下出血の為、試合前のシートノック中に倒れてから入院していた巨人の木村拓也コーチが亡くなりました。まだ37歳という非常に若い年齢で惜しい人をなくした。としか言い様のない非常に悲しい出来事です。
現役時代は日ハム-広島-巨人と3球団を渡り歩き、
ポジションに関しても・・・
投手以外は全て実践経験があるという非常に幅広い活躍を見せてくれた選手でした。
つきなみではありますが、心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
どこでも誰にも愛された男、木村コーチ逝く
やんちゃな少年のような笑顔の裏で、常にチームのことを考えた。木村さんは、どのチームでも誰からも愛された。
公立の宮崎南高(宮崎)からドラフト外でプロ入り。現役時代は「生き残るために、できることを必死で考える」という日々を送った。日本ハム時代に捕手から外野に転向。広島に移籍後、二塁の練習を始め、両打ちも習得した。昨年、巨人で捕手が負傷でいなくなった時には、捕手で出場する準備を自ら始めた。小柄なキャッチャーは万能選手へと変身し、どのチームでも不可欠な戦力に。「最初からこうなろうと思っていたわけじゃないよ」と話す顔は誇らしげだった。自らの経験談を語った3月の新人研修会での講演は、雄星(西武)ら多くのルーキーに感銘を与えた。
人柄を示す話には事欠かない。広島から巨人への移籍が決まった日、寂しさをこらえ切れず、広島市民球場のグラウンドで泣いた。巨人移籍後、最初の広島での試合では球団職員や記者から拍手で迎えられ、親交のある先輩の引退試合には東京から駆けつけた。
今季からコーチに転身。キャンプではノックを打ち続け「慣れないから、手が痛くてさあ」と言いながら、まめだらけの手をうれしそうに見せてくれた。その笑顔はもう見ることができない。
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