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桧山進次郎

桧山 進次郎(ひやま しんじろう、本名:黄 進煥、1969年7月1日 - )
阪神タイガースに所属するプロ野球選手(外野手)。
2009年現在、阪神において生え抜き最古参かつ最年長で打席に立つとスタンドから一際大きな声援を受けるチーム屈指の人気選手。
愛称は「ひーやん」、「ひー」、「悠久の若虎」など。
在日韓国人3世で日本に帰化する意思がないことを明言している。なお、韓国代表としても国際大会で出場可能である。



経歴
京都府京都市右京区出身。平安高校を経て東都大学野球連盟所属の東洋大学に進み、リーグ戦通算76試合出場、261打数83安打、打率.318、13本塁打、45打点。ベストナイン3回。第20回日米大学野球選手権大会日本代表に選出された際は後にプロでチームメイトとなる金本知憲と同室になった。

1991年のドラフトで阪神から4位指名を受け入団。

1995年の後半戦頃から不調の亀山努に代わり外野手として出場し、シーズン終盤まで6番右翼手で起用された。

1996年には5番左翼手に定着し、野口茂樹から2試合にまたがって4打席連続本塁打を放つなど22本塁打を記録。

1997年は4番右翼手として出場し、共に前年の自己最高を更新する23本塁打、82打点を記録。しかし打率は2割台前半と低く三振も多いなど、トータルで見れば中軸としては物足りない成績だった。

1999年には7番に、2000年には代打要員となるが、2001年には4番に復帰し、無理に長打を狙わずミートに徹することで球団記録(史上7位)となる28試合連続安打や自身初の打率3割を記録。同年に選手会長にも就任。

2002年は主に5番右翼手として出場。オフにFA宣言するが、他球団からのオファーはなく権利を行使した上で阪神に残留。

2003年は濱中おさむが4番右翼手に入ることになり、開幕当初一塁手にコンバートされたが一塁守備は不安定だった。5月に濱中が右肩を負傷して戦線離脱したため4番右翼手に復帰。7月2日の中日ドラゴンズ戦で史上58人目(62度目)のサイクル安打を達成。チームは18年ぶりのリーグ優勝を飾り、日本シリーズでは第5戦で決勝適時打、第6戦で本塁打を放ち優秀選手賞を獲得。同年、選手会長を退任して後任の今岡誠に引き継いだ。

2004年5月5日の広島東洋カープ戦で1イニング2三振のプロ野球タイ記録を作るが、シーズン成績は自己新の84打点、打率.306、本塁打も打撃スタイルを変えた2001年以降では最多となる18本を記録した。

2005年はシェーン・スペンサーとの併用で起用される。シーズン序盤は打撃不振に苦しんだが尻上がりに調子を上げ、8月31日にはプロ通算150号本塁打を記録。しかし、それまで好調だった数年間と比較するとやや成績を落としてしまった。

2006年は主に代打として出場するが、不振にあえぎ一軍定着後最低となる打率.180を記録。代打としても出塁率.300、打率.208と切り札と呼ぶには物足りない成績に終わった。同年に2度目となるFA権を取得したが、行使せずに残留。

2007年シーズン当初は二軍で5月4日に一軍合流したが、濱中に加えて桜井広大や林威助などの台頭もあって前年より更にスタメンの機会は減り、控え外野手としても葛城育郎の好調の陰に隠れた。8月21日の東京ヤクルトスワローズ戦で松岡健一から自身初の代打満塁本塁打を放ちチームの逆転勝利に貢献。次の試合もタイムリーを放ち、これ以降は勝負強い打撃を見せたが前半の不振が響きシーズン成績は前年に続いて打率1割台、代打での打率は.186と前年より更に落ち込んだ。10月15日、デイリースポーツの一面に「阪神を退団」という記事が掲載され、桧山自身が自らのサイトでこれを否定した。

2008年は進退をかけて臨み、開幕直後から代打で安打を重ねて高橋光信や葛城育郎らと共に代打の切り札として活躍。一時は代打成功率4割以上の好成績を収めていた事から「新・代打の神様」と呼ばれるようになった。勝負強さを買われてセ・パ交流戦を中心にスタメンでも起用され、規定打席には届かなかったが4年振りに打率3割を記録した。

2009年10月4日甲子園球場でのレギュラーシーズン・対中日最終戦では自身と同い年で同じサイクルヒット達成者であり同じ内野手・外野手両方でオールスターゲームファン投票選出の実績有す引退表明した立浪和義に対しタイガースを代表して慰意の花束贈呈。また、サンスポのミキハウスのコーナーで、MVPを獲得した。

プレースタイル
右翼手としての守備力には定評があるが、外野守備に比較的厳しい意見を述べる福本豊は「上手いがリスクを恐れて消極的な面がある」と評している。


背番号
24(1992年 - )

タイトル・表彰
フレッシュオールスターゲームMVP(1993年)
月間MVP(2度)
日本シリーズ優秀選手賞(2003年)

個人記録

初記録
初出場・初先発出場:1992年5月30日、対読売ジャイアンツ11回戦(阪神甲子園球場) 6番右翼手
初打点:同上、4回裏に斎藤雅樹から二塁ゴロの間に走者が生還
初安打:1992年5月31日、対読売ジャイアンツ12回戦(阪神甲子園球場) 5回裏にチャック・ケアリーから投手内野安打
初本塁打:1993年5月29日、対広島東洋カープ6回戦(山形県野球場) 4回表に長冨浩志から

節目の記録
100本塁打:2002年4月23日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場) 6回表に長谷川昌幸から中越2ラン
1000試合出場:2003年4月10日、対中日ドラゴンズ3回戦(阪神甲子園球場)(384人目) 5番一塁手として先発出場
1000本安打:2004年8月25日、対横浜ベイスターズ19回戦(大阪ドーム) 8回裏に秦裕二から中前適時打
150本塁打:2005年8月31日、対中日ドラゴンズ16回戦(阪神甲子園球場) 6回裏に川上憲伸から右越ソロ
1500試合出場:2007年9月5日、対横浜ベイスターズ18回戦(阪神甲子園球場) 6回裏に代打として出場

その他の記録
28試合連続試合安打(2001年)(球団記録)
サイクル安打(2003年)(球団史上4人目)



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