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2000年03月06日 の記事一覧

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カール・ルイス


フレデリック・カールトン・ルイス(Frederick Carlton“Carl”Lewis, 1961年7月1日 - )は、アメリカ人の元陸上競技選手である。身長188cm・体重88kgの体躯を駆って、国際陸上競技連盟の世界順位に初めて載った1979年(昭和54年)から1996年(平成8年)のオリンピック終了までに、10のオリンピックメダル(うち9つが金メダル)と10の世界選手権メダル(うち8つが金メダル)を獲得した。

目次 [非表示]
1 経歴
2 雑情報
3 主な実績
4 自己記録
5 外部リンク
6 脚注
7 タイトル


経歴 [編集]
アラバマ州バーミングハムに生まれニュージャージー州で育つ。

1983年の第1回世界陸上競技選手権大会・ヘルシンキ大会で、100m、走幅跳、4×100mリレーの3種目を制覇。初のメジャータイトルを獲得し、陸上競技界のスターの地位を確立する。

1984年のロサンゼルスオリンピックで、100m、200m、走幅跳、男子4×100メートルリレーの4種目にエントリーし、全種目で金メダルを獲得した。これは1936年のジェシー・オーエンスの偉業に並ぶものであった。

1987年の世界陸上競技選手権大会・ローマ大会では、4年前のヘルシンキ大会と同じ、100メートル、走幅跳、4×100メートルリレーの3種目を制する。

1988年のソウルオリンピックの選考会では、ドーピング検査で興奮剤に陽性反応が出てしまい、出場停止になるところであったが、最終的に出場を許可される。この時検出されたのはエフェドリン(感冒薬の成分)など。だが、この関連で一部から運動能力向上のドーピングを疑われることになり、現在は反ドーピング派である[1]。100mでのベン・ジョンソンとの対決が注目を集めたが、決勝ではジョンソンの後塵を拝する。だが、レース後のドーピング検査でジョンソンの金メダルが剥奪され、ルイスが金メダルを獲得した。また、走幅跳は制したものの、200メートルでは2位となり、生涯唯一のオリンピック銀メダルを獲得する。4×100mリレーは、ルイスが出場しなかった準決勝でバトン中継でミスがあり失格に終わった。

この後、ルイスは個人短距離種目で次第に苦戦するようになっていたが、走幅跳では実力を誇示し続けていた。

1991年の世界陸上競技選手権大会・東京大会では、100mで当時の世界記録となる9秒86をマークして優勝した。走幅跳ではマイク・パウエルとの激闘の末、世界記録をマークしたパウエルに次ぐ2位であった(自身も追い風参考ながら世界記録(当時)を上回る8m91を跳んでいた)。4×100mリレーも世界新記録で優勝した。

1992年のバルセロナオリンピックでは、走幅跳と男子4×100mリレーで金メダルを獲得。 男子4×100mリレーでは100m金メダルのリンフォード・クリスティとのアンカー対決があったが、アメリカがリードしていた事もありルイスの圧勝であった。

1996年のアトランタオリンピックでは、ルイスは35歳となっていたが、走幅跳で金メダルを獲得し、オリンピック個人種目4連覇の偉業を達成した。

1997年に競技を引退し、俳優に転身した。

雑情報 [編集]
19歳のときに走幅跳で幻のモスクワオリンピックの代表にも選ばれており、オリンピック代表に通算5度選ばれている。

1982年7月の全米スポーツフェスティバルで、走幅跳の4度目の試技で大ジャンプを見せたが、つま先が出たということでファールとなった。ジェイソン・グリムズは30フィート(9m14㎝)、ルイス本人は30フィート2インチ(9m19㎝)を跳んでいたとコメントしている[2]。

1984年に、NBAドラフトの10巡目全体208位でシカゴ・ブルズ[1]に、NFLドラフトの12巡目全体334位でダラス・カウボーイズ[2]に指名されたが、入団しなかった。

両親は元陸上競技選手、兄はサッカーの元アメリカ代表選手、妹のキャロル・ルイスは走幅跳の選手で1983年世界陸上競技選手権大会で銅メダルを獲得したまさにエリートスポ-ツ一家であった。

1987年にはシングル「LOVE WILL DO」をリリースしており、日本の歌番組にも出演したことがある。[3]

完全菜食主義者向けの本「Very Vegetarian」の中では、完全菜食主義者になることを1990年6月に決意したこと、動物性タンパク質を摂らない摂生規則を導入してミネアポリスで会った栄養学者の指導下で続けたところ1991年に好成績が得られたことを語っている[4](引退後は普通の食生活を送っている)。

2003年4月21日には、ロサンゼルスのハイウェイで酒酔い運転を行って事故を起こし、米カリフォルニア州高速道路警察隊に逮捕されている。

2007年にドナルド・マクドナルド・ハウスの支持者となり、同団体のイベント活動に参加をはじめる。

2008年にはワールド・ハーモニー・ランに出場し、自由の女神前で点火して第一走者として走った。[5]

主な実績 [編集]
年 大会 場所 種目 結果 記録
1979 パンアメリカンゲームズ サンフアン(プエルトリコ) 走幅跳 3位 8m13
1981 IAAFワールドカップ ローマ(イタリア) 走幅跳 1位 8m15
1983 世界陸上競技選手権大会 ヘルシンキ(フィンランド) 100m 1位 10秒07
1983 世界陸上競技選手権大会 ヘルシンキ(フィンランド) 走幅跳 1位 8m55
1983 世界陸上競技選手権大会 ヘルシンキ(フィンランド) 4×100mリレー 1位 37秒86
1984 オリンピック ロサンゼルス(アメリカ合衆国) 100m 1位 9秒99
1984 オリンピック ロサンゼルス(アメリカ合衆国) 200m 1位 19秒80
1984 オリンピック ロサンゼルス(アメリカ合衆国) 走幅跳 1位 8m54
1984 オリンピック ロサンゼルス(アメリカ合衆国) 4×100mリレー 1位 37秒83
1987 パンアメリカンゲームズ インディアナポリス(アメリカ合衆国) 走幅跳 1位 8m75
1987 世界陸上競技選手権大会 ローマ(イタリア) 100m 1位 9秒93
1987 世界陸上競技選手権大会 ローマ(イタリア) 走幅跳 1位 8m67
1987 世界陸上競技選手権大会 ローマ(イタリア) 4×100mリレー 1位 37秒90
1988 オリンピック ソウル(韓国) 100m 1位 9秒92
1988 オリンピック ソウル(韓国) 200m 2位 19秒79
1988 オリンピック ソウル(韓国) 走幅跳 1位 8m72
1991 世界陸上競技選手権大会 東京(日本) 100m 1位 9秒86
1991 世界陸上競技選手権大会 東京(日本) 走幅跳 2位 8m91
1991 世界陸上競技選手権大会 東京(日本) 4×100mリレー 1位 37秒50
1992 オリンピック バルセロナ(スペイン) 走幅跳 1位 8m67
1992 オリンピック バルセロナ(スペイン) 4×100mリレー 1位 37秒40
1993 世界陸上競技選手権大会 シュツットガルト(ドイツ) 100m 4位 10秒02
1993 世界陸上競技選手権大会 シュツットガルト(ドイツ) 200m 3位 19秒99
1996 オリンピック アトランタ(アメリカ合衆国) 走幅跳 1位 8m50

自己記録 [編集]
100m  9秒86  (1991年8月25日、世界歴代10位)
200m  19秒75 (1983年6月19日、世界歴代10位)
走幅跳 8m87  (1991年8月30日、世界歴代3位)
外部リンク [編集]
カール・ルイス公式ウェブサイト (日本語版あり)
脚注 [編集]
^ 選手たちに反ドーピング運動を呼びかけるカール・ルイス氏
^ 『スポーツ20世紀8 カリスマの系譜 スーパースター最強列伝』 ベースボール・マガジン社 74ページ
^ 1985年9月19日放送のザ・ベストテンなど。エピソード等はリンク先を参照。
^ Carl Lewis on Being Vegan
^ Start of US World Harmony Run

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