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2000年03月20日 の記事一覧

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ブライアン・シコースキー

ブライアン・シコースキー(Brian Patrick Sikorski , 1974年7月27日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州出身のプロ野球選手(投手)。埼玉西武ライオンズ所属。

目次 [非表示]
1 来歴
2 人物
3 詳細情報
3.1 年度別投手成績
3.2 背番号
3.3 個人記録
4 関連項目
5 外部リンク


来歴 [編集]
ウエスタンミシガン大学から1995年のMLBドラフト4巡目でヒューストン・アストロズに指名され契約。1999年のシーズン中にウェーバー公示され、テキサス・レンジャーズに移籍。2000年にメジャー初昇格し、10試合に登板した。

2001年シーズン途中に千葉ロッテマリーンズに入団。1年目の成績は振るわなかったが、150km/hを超える速球やナチュラルシュートを高く評価されて残留すると2002年、2003年のシーズンは右の中継ぎ・セットアッパーとして2年連続で50試合・80イニング近く投げぬき、防御率も3点台前半と健闘。同時期に台頭した小林雅英、川井貴志、小林宏之らと共に鉄腕でチームに貢献、短期間にチームを「リリーフ王国」に変貌させた。 しかし2003年オフ、ボビー・バレンタインが監督に就任。外国人選手の刷新を図るべく戦力外通告を受ける。

2004年、2005年のシーズンはリリーフが手薄だった読売ジャイアンツと契約。巨人では右のセットアッパーとして活躍。在籍した2年間はともにチーム最多登板を果たした。防御率も2点台に向上して信頼度も上げ、堀内恒夫監督時代の手薄な巨人のブルペンを岡島秀樹などと共に支えた。また、2005年9月3日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)では7回表に長谷川昌幸から2点タイムリー二塁打を放ち、5年目での来日初安打も記録した。しかし2005年シーズン終了後、原辰徳が監督に就任すると、戦力の入れ替えを目的として再び戦力外通告を受けてしまう。シコースキーが日本でのプレー続行を希望したために球団がウェーバー申請を行い、11月21日に戦力が手薄な東北楽天ゴールデンイーグルスがシコースキーの獲得を発表する。

しかし、その後シコースキーは「子供の教育問題」を理由に一転して母国への帰国を希望。球団は「日本の他球団と契約しないこと」を条件に自由契約を受け入れ帰国。12月22日、メジャーリーグのサンディエゴ・パドレスと契約してアメリカ球界に復帰した。その後2006年7月18日(日本時間)に戦力外通告を受け、クリーブランド・インディアンスに移籍した。

2007年5月17日、東京ヤクルトスワローズがシコースキーを獲得することが判明。5月21日に正式発表された。ヤクルトではリリーフ陣の一角として活躍したが、残留交渉が折り合わず、11月30日に自由契約公示された。その後、古巣である千葉ロッテマリーンズへの入団が決定。5シーズンぶりの復帰となった。

2008年4月4日にロッテ復帰後初勝利を挙げると、前年退団した薮田安彦、藤田宗一、小林雅英に代わるリリーフの柱として若手投手陣を引っ張り、リリーフながら5勝を挙げるなど活躍。シーズン後半にはシコースキー、川崎雄介、荻野忠寛を中心とした勝利の方程式が確立された。オールスターゲーム後の防御率は0.00だった。

2009年シーズン前半は抜群の安定感を誇り、シーズン途中より荻野に代わって抑えに定着。8勝5敗15セーブ、防御率2.19と活躍した。その一方で救援失敗も相次ぎ、被本塁打は8と前年に比べて増加した。

2002年、2003年のシーズンは2年連続で50試合80イニング近くを投げ、2005年はセットアッパーとして70試合に登板するなど昨今の日本球界で有数のタフさを誇っていた。また、前述の150km/h前後の速球を武器に高い奪三振率を誇るが、球が高めに浮きやすくリリーフ投手にしては被本塁打数が若干高い。ただし、2007年、2008年はシーズンの被本塁打がわずか2と安定感を増している。

ロッテは2010年シーズンも残留を求めて交渉を行っていたが、合意に至らず、2009年限りで退団した。2009年12月28日、埼玉西武ライオンズへの入団が発表された。

人物 [編集]
験担ぎに、登板時の投球練習の際、腕を前後に4~5回ずつ回す(同じ綴りのシコルスキー・エアクラフトに引っ掛けたものでヘリコプターとの洒落)、攻守交代の際に自チームのベンチからマウンドまで全力で走り白線を飛び越える、ロジンバッグを手に取った後その手を舐めるなどのパフォーマンスを行っていた。ロジン(松脂)を舐める行為は胸焼けを起こすために近年は行っていない。このパフォーマンスを行う際、観客席からは歓声が上がる。

他人の悪口を言うのは誰も聞いたことがないという話が伝わるほど人の良い性格である。しかしダン・ミセリが解雇された直後、妻子と共に浅草観光をしていた件について「クビになって観光なんてとんでもない。外国人の恥だ」と痛烈に批判するなど、不誠実で素行が芳しくない人物に対しては厳しい一面も持っている。

新人通訳がグランドにボロボロのスニーカーで現れた事に対して、先輩通訳から叱りを受けていた姿を見ていたシコースキーは、翌日その新人通訳に対して新しい靴を用意してあげた事がある(2008年千葉ロッテマリーンズマッチカードプログラム 第6号参照)。

偶然にも、所属チームの監督が交代すると必ずそのチームを退団している。

詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]

度 球
団 登
板 先
発 完
投 完
封 無

球 勝
利 敗
戦 セ

ブ ホ


ド 勝
率 打
者 投

回 被

打 被


打 与

球 敬
遠 与

球 奪

振 暴
投 ボ

ク 失
点 自

点 防

率 W
H
I
P
2000 TEX 10 5 0 0 0 1 3 0 0 .250 187 37.2 46 9 25 1 1 32 1 0 31 24 5.73 1.89
2001 ロッテ 12 7 1 0 0 1 4 0 -- .200 191 42.0 48 9 18 0 1 31 1 3 36 30 6.43 1.57
2002 47 7 0 0 0 4 6 2 -- .400 385 96.2 76 14 20 4 3 102 2 0 38 37 3.44 0.99
2003 47 5 0 0 0 4 6 1 -- .400 340 82.2 80 9 23 1 0 71 2 0 35 29 3.16 1.25
2004 巨人 62 0 0 0 0 5 3 5 -- .625 330 77.2 76 9 22 2 9 83 1 0 25 23 2.67 1.26
2005 70 0 0 0 0 7 1 0 14 .875 367 87.2 75 4 33 2 3 100 4 0 33 32 3.29 1.23
2006 SD 13 0 0 0 0 1 1 0 0 .500 60 14.1 16 4 3 1 0 14 2 0 9 9 5.65 1.33
CLE 17 0 0 0 0 2 1 0 2 .667 82 19.2 20 4 4 0 1 24 1 0 10 10 4.58 1.22
'06計 30 0 0 0 0 3 2 0 2 .600 142 34.0 36 8 7 1 1 38 3 0 19 19 5.03 1.26
2007 ヤクルト 29 0 0 0 0 1 2 1 7 .333 159 39.1 30 2 12 0 2 38 2 1 13 10 2.29 1.07
2008 ロッテ 54 0 0 0 0 5 1 1 13 .833 196 48.1 42 2 10 1 1 49 0 0 15 12 2.23 1.08
2009 55 0 0 0 0 8 5 15 15 .615 254 65.2 41 8 19 2 3 73 2 0 16 16 2.19 0.91
MLB:2年 40 5 0 0 0 4 5 0 2 .444 329 71.2 82 17 32 2 2 70 4 0 50 43 5.40 1.59
NPB:8年 376 19 1 0 0 35 28 25 49 .556 2222 540.0 468 57 157 12 22 547 14 4 211 189 3.15 1.16

2009年度シーズン終了時
背番号 [編集]
49 (2001年 - 2003年、2008年 - 2009年)
42 (2004年 - 2005年)
44 (2006年途中 - 同年終了)
34 (2007年)
50 (2010年 - )
個人記録 [編集]
NPB
初登板・初先発:2001年7月11日、対福岡ダイエーホークス20回戦(千葉マリンスタジアム)、5回3失点
初奪三振:同上、2回表にトニー・ミッチェルから
初勝利・初完投勝利:2001年9月27日、対日本ハムファイターズ27回戦(千葉マリンスタジアム)、9回1失点
初セーブ:2002年7月28日、対西武ライオンズ17回戦(西武ドーム)
初ホールド:2005年4月1日、対広島東洋カープ1回戦(東京ドーム)
初安打・初打点:2005年9月3日、対広島東洋カープ19回戦(広島市民球場)、7回表に長谷川昌幸から右中間へ適時二塁打
関連項目 [編集]
千葉ロッテマリーンズの選手一覧
読売ジャイアンツの選手一覧
東京ヤクルトスワローズの選手一覧
埼玉西武ライオンズの選手一覧

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